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【みんなで考えよう】子どもの頃、学校や家庭以外に「居場所」、ありましたか?

 

 7月後半から始まった夏休み。多くの子どもは家庭でその時間を過ごすことになりますが、「家に居場所がない、ほっとできない」「家族と一緒にいることがつらい」と感じる子どもがいるという実態があります。


ニュース速報

 

 イイネ

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小学生の頃両親は共働きで、家に帰ると毎日のように不登校の兄にぶん殴られていた。それでも近くの空き地で野球をやっていたので、これがある意味自分の居場所だった。なぜそのことを両親に言わないのかって思われるかもしれないけど、親に心配をさせたくないのと、何よりそれを聞いた兄からの復讐が恐かったからね。 だから第3の居場所って大切だと思う。でも現代ではお金を払わないとその場所を確保できないわけで、少し寂しさを感じてしまう。また貧困家庭ほど第3の居場所がないケースが多いため対策も必要だと思う。


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学校では、周りにも恵まれ居場所があり助かった記憶がある。 ただ家に居場所がなく、ほとんど記憶がない。 きっと意識を極力無くし生活していたと思う。 希望があれば明日への活力にもなるし、そういう意味では第三の居場所もあるに越したことはないと感じる。 自分の時代は、自転車でなるべく遠くまで、 ん、どうしていたのかさえ記憶がない。 ただ、サッカーが楽しくて楽しくて仕方がなかった。 そういうスポーツを通じた場所があれば良いんではと書いてる今、気付いた。


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とても良い視点の企画だと思います。 私は小中学では地域のスポーツクラブや、習い事を複数していました。また、高校ではアルバイトも新しい人間関係の構築場所になっていたと思います。大学生の先輩と思春期ならではの話をしました。 社会を知り、また小銭を稼ぐこともできるという意味で、アルバイトが最もおもしろかったです。 今はまた、中年男性も職場と家庭以外の人間関係がないのが少し話題ですね。女性は比較的あちこち仲良くできるのですが…。 ただ、やはり最も逃げ場がないのは子どもと思います。YouTubeやゲームでも意外と気が紛れるかもしれませんが、興味の持てるサードプレイスがあるとないとでは、生活の気詰まりに違いが出てくることと思います。


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子供の頃、母方の祖父に可愛がってもらった経験が、大きな支えになったこともあったな~。 若い頃、友人や仕事上の知人等で、三世代の環境で育ってきた人は、情緒的な落ち着きや思慮深さを感じることが多かった。短慮で感情的になりにくいというか、浅はかな考えで突っ走ったり固執したりしないというかw 子供が小さいということは、親も「若僧」「経験不足」「思慮が足りない」可能性が高くw、経験豊富で情緒的に安定している大人の存在は大きいと思う。


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性的少数者であることやいじめの標的になりやすいタイプであったことから、小中高を通して学校は苦痛の方が多い場所でした。 家は安心できる場所でしたが、上記のことをすべては打ち明けられず、常に隠し事があるような状態で苦しかったです。 そんな子ども時代でしたが、部活だけは楽しくやれていて部員や皆の集まる部室は大好きでした。いじめをしてくるような人もおらず、部室が自分にとっての避難所でした。部活動に出るために教室での時間を毎日耐え抜いていました。 子どもに使える交通手段は自転車のみの田舎だったので、施設や団体という意味でのサードプレイスは見つけにくい環境だったかもしれません。が、一人きりになれる何もない空き地などはたくさんあり、私はそれも好きでした。 落ち着ける場所というのは人によって異なると思うので、都会でも田舎でも多様な種類の選択肢があると良いのかなと思います。


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子供の居場所ももちろんそうですが、今は大人の居場所もないように思います。居場所とは実際の場所もそうですが、心から安心して自分の肯定感を満たされることも含まれます。大人の居場所がないと、その周りにいる子供も居場所がない場合が多いと思います。 自分の好きな人や物、趣味、宗教などの面で居場所を見つける人もいると思いますが、基本的な居場所はやっぱり人との人との暖かい関係が大切だと思います。人との関係が気薄になってきている日本と日本人の今の気質。また、人との暖かい関係以外の居場所を求めることを煽る日本のマスコミなどの媒体が私達を盲目な居場所に導いているような気がしてなりません。 子供時代に私はそのままでここにいてもいいんだ、生きていて楽しいと思える家族を中心としたしっかりとした根っこの居場所を作ってあげることは、私達大人の大切な責務だと思います。


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子供の頃は、辛かったですね・・ 家にも学校にも居場所はありませんでした・・ 親は自分中心でした。 なので、過去を懐かしいと、思い出すことも特にありません。 なので、懐メロもあまり好きではないですね(苦笑) だからこそ自分の子供には同じ思いをさせないよう、努力しました! 子供は家が大好きで。 子供は、基本的にどうすることも出来ないし、何も言えない。 だから、本当に辛いです。 それを散々体験して育ったので、子供が自分の気持ちを話せる場は本当に大切だと思うし、色々な子供たちの声を聞いてあげたいって思いますね・・ 多種多様な世の中になっていっている分、逆に難しいとこがあるのかもと思います。


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家庭がプチ機能不全だったので、学校の放課後と塾が居場所。 学校ではいろいろな友達と遊んだり話したりして、とても充実して楽しかった。もちろん人間関係はいつも良かったわけではない。 塾では同じような学力の子らと切磋琢磨したのがよい刺激だった。 塾がサードプレイスだったか?というとそこまで居心地が良かったわけではない。塾のスタンスは授業料と合格実績目当てなのは思春期の自分にもよくわかった。 というわけで、居場所はあったようななかったような。でも、それなりに充実してました、はい。


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いろいろとうまくいかない事ばかりの子供時代でした。 しかし物心ついた頃から毎日のように一人で絵を描くことにひたすら集中して、家庭でも学校でもない自分だけの世界を構築していました。そのおかげで私はいつもとても幸福でした。 絵は独学でしたが、中、高は美術部に所属し、部長を務めるまでになりました。名のある展覧会で入賞し顧問と一緒に上野の美術館に自分の作品を見に行ったのはとても誇らしい思い出です。 今では美術とは離れた生活をしていますが趣味で絵を描くことは続けており、毎日自分の子ども達と沢山絵を描いて幸せを噛み締めています。


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学校に馴染めない時期がありました。 そのときは、図書室が居場所になっていたと記憶しています。 たくさんの本に囲まれて、いろいろ読むことが心を落ち着かせてくれました。 インターネットを家で使えるようになると、自分で作った趣味のホームページが居場所のようになりました。 オンラインだけでの交流もあれば、実際に何人かで会ったこともあります。 いまはSNSがリアルと地続きですが、昔はネットはネットの世界として閉じている部分が大きかったので、まさに第三の居場所だったなと感じます。


 


 

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学校や家が辛い子、多いと思う。 辛くなくても第3の場所を必要としてる子も居ると思う。私もそのタイプです。 娘の場合、学校の子が(たまたまだけど)1人もいない習い事を8年続けています。やはり、学校ではない場所というのは良いみたい。 息子の場合は父親とうまく行かず学校でもうまくやれず不登校に。どこか習い事で居場所を作ってあげたかったのだが、父親がやってるスポーツから逃れられず、他の習い事をさせてもらえず。でも彼の場合、ゲームやネットがあった。と聞くと、眉を顰める面々も多いと思う。でも、私自身が割とネット住民を若い頃からやっていたので、どういうものかわかっているし知識もあるから監視も効くので、管理しつつ与えていた。今息子は大学生となり成人したが、あれがあったから居場所があった、本当にありがとうと言われている。こんな例もあるよ。諸刃の剣ではあるとは思うが。


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中学の頃激しいいじめを受けてたが、家庭が幸い円満だったので、首の皮一枚繋がっていた。逃げるように下校して、帰路についてが、玄関たどり着くと、敵から開放されたような安住を感じた。(´・ω・`) 学校や家庭以外に居場所を求める事自体が誤りな気がする。基本、肉親以外は、上辺だけの関係で、心底の信頼を得られないし、身を挺して身代わりになってくれることも無い。上辺では綺麗ごとを言う人もいるかもしれんが。裏を返せば家庭の存在が非常に重要だと思う。 逆に家庭で居場所が無くて、学校や職場でもイジメやパワハラを受けるような人は、居場所がなくなり、結果的に自殺などに至ってしまうのではなかろうか。なので、学校や家庭以外に居場所を求めるのではなく、最後の砦として、家庭は何としても円満を維持するのが大切と思う。


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教員をしていたとき、毎年、夏休みには数人だけ「宿題をさせる」という名目で、子どもを学校に呼んで安全確認をしていました。長期休みだと給食もなくなり、「きちんと食べているか、衣服が汚れていないか、身体に異常がないか」をチェックするため。新学期にきちんとクラスに居場所があるために宿題のフォローや自由研究をさせたりもしました。夏休みの宿題をやっていないと、他の子どもから責められたりズルいと言われたり色々なトラブルに繋がります。 これはしなくても良い仕事だったかもしれないし、自分で仕事を増やしていると言われればそれまでです。 生活保護受給家庭であることも多いので、本当は、長期休みに合わせて役所が週に一回でも巡回してもらえると良いのですが…


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私は子ども時代、第三の場所はなかったタイプの子どもでした。家庭では祖父母との同居のストレスから母から虐待され、両親共働きだったので家事も強いられ、弟妹の面倒をみていて、自分の時間はなく。学校ではいじめられ、いつも自殺することを考えてた小中学生時代でした。高校でたくさんの友人に恵まれて、人生が好転してきたように思いますが…。 現在は母になり、長男は幸いにもあるスポーツのチームに所属しており、そこが第三の場所になっています。コーチもチームメンバーも長男を家族のように思ってくれて、長男もみんなは特別な存在だと言います。温かい繋がりを感じます。息子にそういう場所があることを心から感謝しています。 生きる場所は家庭や学校(会社)だけではないということ、生きる世界は広いことに気付いてくれたら、と思います。 下2人にもそういった場所ができればいいなと思いながら、息子たちのやりたいことを応援しています。


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学校や家を居場所にする取り組みは? 子供のころ思い返すと、ミスを怒られることがあった。 宿題を忘れるとか。 別にわざと忘れたわけでもないのに厳しく叱られることに今でも納得がいかない。 大人だってミスしたり忘れたりすることくらいあるだろうに。 割と成績良かった私でもそう思うから勉強できない子なんてもっときつかったのではないか。 それに叱るならまだマシだが感情を爆発させるような怒り方は最悪。 そんな先生に何かあったときに相談しようと思うだろうか。 下手したら自分が怒鳴り散らされるかもしれないのに。 そりゃ居場所もなくなるわ。 私の場合家庭ではガミガミ言われなかったから救われた部分はある。 まず学校や家庭のあり方を考えること。 サードプレイス云々は同時進行かその後で考えることだと思う。


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放課後等デイサービスの責任者です。 障がいのあるお子さんだけが対象の制度ですが、「学校でも家庭でもない第三の居場所」が人格形成に大きく影響(勝手な解釈ですが、ものすごい+αに)すると実感しています。 定型発達の子たちは学童クラブがありますが、おおむねどこの自治体も小学校3年生までになっていますが、世代を超えた交流の場、最近では「子ども食堂」のような、「つかず離れず、それでもいつでも駆け込める」場所は、必ず地域に必要だと思いを募らせています。


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S低学年から、早く大人になって家を出る事ばかり考えていたな。周りに親戚も親しい家庭も無く、逃げる場所が無かった。爺さん婆さんがいる友人が羨ましかったな。勉強のできる友人より不良の友人たちといることが楽しかった。でも彼らは、私が本当の不良になることはしなかった。地元を離れて会う機会が無くなってしまったが、ときどき思い出すよ彼等を。大人になっても、自身の居場所作りと守る努力に奮闘している。


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小学生の頃は習い事を週6でしていて、それぞれに友達がいて楽しかった。特に大好きなバレエでは学校は違っても気の合う友達ができて、毎週土曜はお稽古の何時間も前に集まって隣の施設の片隅にあるプリクラを撮りに行ったり、みんなで交換日記をしたり。 中学になってからは部活だったり塾仲間だったり。彼氏ができて、親が心配するので家に行くわけにもいかず、お金もないしデートと言えば公園か図書館かミスド。たまに動物園とか。それで十分楽しかった。 親になったいま、子供にも色んな場所に接点を持たせてあげたい。それにはお金もかかるし、親の努力も必要なのかな。色んな人がいて、色んな場所がある。子供には生きることを楽しんでほしいと切に願います。


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私にはそのような場所はありませんでした。 そもそも家には自分の個室はなく、当時同級生間で流行っていたファミコンもなく、テレビも観れるのは親が仕事で帰宅する前だけ。 母親の帰宅時間は18時前と決まっていました。それに反比例するように、自分の学校の授業数は伸びて帰宅は遅くなる。 そして自分で望んだわけではなく嫌いだった習い事がありました。思えば、ずっと習いたいことが他にありましたが、許されませんでした。 私は保育園時からずっと疲れていました。 親や学校から解放されて25年以上がたっても、そのままずっと疲れたままのような気がします。 ただの泣き事ですが、ちょっとこぼしたくなりました。


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親が共稼ぎだったので、小学校の長期休暇は祖母の家(母の実家)に預けられていることが多かったです。 すっかり私も成長し進学で上京そのまま就職して15年、祖母が永眠しました。両親は健在で同居していたわけでもない祖母が亡くなった後、帰省する楽しみが無くなってしまいました。どうやら私の帰省の最大の目的は、祖母に会うことだったようです。 それから年を重ねた現在も子供の頃の原風景は実家ではなく、祖母宅の田園風景を思い出します。両親より祖母の方が好きだったのかもしれません。


 


 


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内田先生の言う通りですね。家庭が子どもたちにとって、居心地の良い、安心できる場所になっているか、保護者や学校は、その把握にも努める必要がありそうです。合わせて、国を初め、関係先は、その面での情報収集や対応策を早急に考えるべきです。子どもたちに、親や家庭は選べません。その家庭が、自分にとってのベースモデルになるのです。家族一人一人が優しさや厳しさでつながることが出来ないとすれば、悲劇しか目に浮かびません。そんな家庭ならいらない、少子化にも少なからず影響するはずです。


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アラフィフのおじさんです。子供の頃は無邪気に遊んでましたが、大人が温かく見守ってくれている感じがよくわかりました。 時代的に酷いイジメも身近にはあったし、正直見て見ぬふりする生き方をしてしまいました。未だに後悔している思い出もあります。でも良いか悪いか分かりませんが、必ず悪いことがバレるとゲンコツや閉じ込められる事を先生や親から喰らいました。今になって恨むどころか有難い気持ちがあります。 私も現在仕事をしていて、新入社員のお世話をすることがありますが、心がけるのが[ここにいていいんだよ]という居場所を用意することです。 居場所とはいていいんだよという場所で、自分で見つけるものではないのかもしれません。周りが用意する必要があると思います。居場所づくり簡単なようで難しいと思います。まして昔みたいに悪いことした人に鉄拳制裁なんてできませんし。でも周りが居場所は用意する意識は重要と思う。


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学校も家庭も「居場所」でした。 だから、駄菓子屋も空き地も友達の家も、すべて「居場所」でした。 恵まれていたんでしょう。 それは否定しません。 自分の時代にも、学校や家庭が「居場所」じゃない友達はいましたから。 だけど、その友達が「居場所」と出来るところが、駄菓子屋や空き地や友達の家だったとも思うんですよね。 だって、自分にとっても「居場所」だったから。 「居場所」を共有していたから。 学校や家庭が「居場所」でない状態を、自己責任みたいな言葉で片付けるべきではないと思います。 だけど、まず第一に学校や家庭が「居場所」であることが出来るような社会にしていくことが、結果的に学校や家庭以外の「居場所」を子どもたちに与えることにもなるような気がするんです。 駄目ですかね?


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教育虐待レベルのスパルタ教育だった為、家庭以外に居場所など許されるはずもなく、当然ながら視野も狭かった為、自分の置かれた環境の異常さに気づくことができなかった。 親以外に信頼できる相談者と巡り会えていたら、そして自分の人生は自分で決めて良いことに気づけていたら、まるで違う人生を歩めていただろうと思う。 唯一、道を踏みはずすことなく耐えた自分を褒めてあげたいとは思う。 トランプを一枚ずつ裏返していくように自分を取り戻していく手探りの人生である。


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父親は定職につかない、母親は精神的に不安定で私に私に八つ当たりをする、ハーフなので田舎の学校では変に目立ってしまい、校風からして質実剛健な感じだったので馴染めずに孤立していました。(今みたいに多様性とかいう時代ではなかったです)他学校に1番仲の良い友人がいたのでその友達の家庭が居場所みたいな感じでした。しかしそのことに対して母親はひどく嫉妬してヒステリックになっていましたね。今は環境もかなり変わってこの記事のようにみんなに知ってもらおうという風潮もあるので少しは違うのかな… 私みたいな経験は本当にしなくても良いと思うので悲しい経験をする子どもが少しでも減りますように。


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色々ある家で子供心に居心地は良くなかったです。居場所と言えるかどうか分かりませんがそろばん塾が楽しかったです。なるべく上の級をめざす、という楽しみもありました。中2の後半あたりから母方のおば(子どもがおらず可愛がってくれました)の家に入り浸り、高校も自宅よりそこから近い所に決めたくらい世話になりました。親が宗教にハマって何年も苦しみ悩んだ男性の事件がありましたが、他人事ではありません。宗教は関係なくてもいま思い悩んでいる学生の皆さんは大勢いらっしゃると思うので、何とか居場所を見つけてもらえたら良いなと思います。


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私は自分にサードプレイスがありませんでした。だから、いじめにあって不登校になった時、親にいじめられていると言えなかったから、逃げ場がなかった。 子どもたちのセカンドハウスに、という願いを込めて塾を開きました。塾の隣に住まいを設けました。そして約15年が経ちました。生徒達は、よくうちに家出してきます。親さんたちも、うちにいると伝えたら安心してくれます。あの頃の自分にも、こういった場所があったらよかったのにな、っていう場所を守り続けたいなぁと思います。


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部活がない時は保健室。部活が始まってからは部室にいました。 長い間、「おかえり」と迎えてくれる人が、帰る場所、居場所だと思っていましたが、誰かに頼るのではなくて、自分が心地良くいられる場所が居場所だと。それは長く留まる場所ではなくても、折に触れて訪れる場所でもいいのかなと柔軟に考えています。 もちろん、パートナーが帰る場所であってほしいとも思っていますが、それは思い込みだけでは叶わないことなので、一人で完結できる居場所が、今は落ち着く場所です。


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さまざまな意見あると思いますが 最終的には、絶対的な安全地帯として 家があるべきだと思います。 ただ、反抗期などではまともに親子が衝突してしまうのかも知れませんね。 親が感情的にならず、しっかりと愛情を伝え どんなに衝突しても、困ったときは必ず守るという姿勢だけは、忘れてはならないと思います。 出来れば、チャレンジ精神に対して、否定的にならず、なんでもやらせてあげる親でありたい。 そして危険行為や、不良仲間、喧嘩からは 遠ざける、または、対処法を一緒に考えられる親でありたい。 子供は大人になって、親にならない限り 親の苦労や、叱る理由が理解できないかもしれませんが、親も親で、現代の子供の発想や希望を昔の考え方で当てはめて、縛り、制約するのも考えものではあります。 柔軟性、寛容性、そして理解、譲歩、相談役と 親に求められる事は多くあります。


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学童保育が私のサードプレイスでした。 両親が共働きでしたので、小学校に進級すると共に民間の学童に預けられました。学校終わりの放課後はもちろん、長期休み期間中は朝から夕方まで学童で過ごしました。 長い時間を過ごしていたので、学童の先生は親の次に身近な大人になりました。小学校を卒業した後も学童には定期的に遊びに行きました。中学校であったことを何でも話しに行き、親には話しづらいことも聞いてもらいました。親もそのことを知っていたので、「うちの子何か言ってましたか?」という風に、私のいないところで聞いていたそうです。ただ、先生はそのように聞かれたら何でも話すわけではなく、私が親に伝えたくないことは決して話さず、かつ親が心配しないように伝えていたそうです。その先生は私の思春期も親心も、どちらの心も守ってくれました。おかげで私は心豊かに成長できました。自分の子供にも先生のような存在がいてほしいものです。


 


 


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子どもの頃も、そして大人になった今でも、1人で居る事こそが自分の居場所な気がする。 一人で居る時間がなかなか持てないと、辛くなる。 学校では当然一人で居られないし、帰宅すれば家族が居るし、早く大人になって一人暮らしがしたかった。 結婚して、たまにどうしても一人になりたい時がある。 かと言って家族を置いてホテルに泊まろうにも金銭的に勿体ないし、難しいものがある。


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学校にも家庭にも居場所がない人が第3の居場所としてドン横キッズになったんだろうな。 自分はスポーツをやっていたから所属クラブにいる人みんな同じ方向の目標を持ってる仲間がいて、それがいま思えば理想的な環境だったんだなって思う。 そういう意味でも教師は大変なんだろうけど、学校に部活というものがあるってことは子どもの居場所を作ってあげて救われてる人もたくさんいるだろうから、教師目線で大変だからって理由で部活を廃止にしようだなんて動きは無くなってほしいな。


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小1から高3まで毎週書道を習っていて、そこが私の大切な居場所だったなぁ。両親が厳しくて(愛情深いし可愛がってくれたけど、かなり堅い思考だった)負担がかなりあったけど、書道の先生が親と同じくらいだけど考え方が今風で、話していると本当に楽しかったし救われた。 子供も大人も、仕事や学校と家以外の居場所を持つって、とても大切だと思う。


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子供の頃、長期休みは苦痛でした。学校が特別好きだった訳ではないけど。確かに褒められるような子どもでもなかったけど、母親が厳しくバイオレンスで、スイッチ入ると殴る蹴ると、食事抜きとか何度閉め出されたことか…。今だと虐待ですね。小学生じゃなかなか逆らえないし狭い生活圏でどうしようもなかった。今思えば、そんなされるほど悪い事なんかしてないと思う。中高生になれば割と行動範囲も広がるし人間関係も変わる。親との関係は最悪で、家に寄り付かなくなったけど。私は幸い、歳の近い兄がいたので、理解者はいた。それだけでかなり助けられてたと思う。1人だとその環境は精神おかしくなってたと思う。同じような境遇の子供が今いるなら、どうか安全な居場所を見つけて欲しい。


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学校にも家庭にも居ていいと思える居場所はありませんでした。ですが、生きる為に過ごす術を学びながら、沢山の他人と自分の実感を例としながら、違いや同じ。歩みやバランスを学んでいたんだと思います。 専門学生になった頃、付き合いとして無理をするのはやめました。そんなことをしても、大切ではないからです。付き合い方は学べていたので、適度な距離をとしていたんだと思います。そしたら、いつも側に誰かいるようになりました。おじいちゃんみたいだったそうです。 好きな人にも出会い、頑張って生きてきて良かったと思えました。自分の人生にも良い時間もあったのだと言える。卒業で離れましたが、それからも生きる力になりました。 それからずっと、またシンドイ人生でした。目的は果たして、願いは叶えて、頑張って生きた自分に胸を晴れる締めを迎えて、それでも、生が繋がっているので、次は、ボーっとしていたく思います。


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学校では虐められ、家は機能不全で身体的・心理的虐待やネグレクトに近いことが多くあり、安心できる場所がありませんでした。学校では屋上に続く階段やトイレの個室に隠れていて、家では自分の部屋にこもっていて、第三の居場所はなかったです。心が壊れて精神科に通い、今でも治らないでいます。 最近、好きなアーティストの歌が家族愛の方向に向いてきたのですが、あまりわからず、戸惑います。 家庭内で楽しかったこと、嬉しかったことを覚えていなくて、記憶もとぎれとぎれで、親を慕う気持ちも、子供を大切に思う気持ちも実感がないから、普通の家庭ってどんなんだろう…とよく思います。


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少し違うかもしれないけど... 自分から自分の話がしにくい性格でした。多感な友達はいろんな悩みを私に話してくれたけど、私はぼけっとしていて、いつ私の番になって話せるかなーと思っていました。大人になった今思えば甘えなんだけど、誰かに「どうしたの?」と話を聞いて欲しかったな。保健室にも行ってみたかったけど保健室にはいつも行って先生と仲良くなっている人がいて、少し羨ましかったです。学校にカウンセラーという名前の人が配置されるようになった時期だったけど、そんなの名ばかりで相談できるような体制にはまだまだ時間がかかりそうでした。 居場所と聞いて思い出すのはそういうことです。


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隣のばあちゃん家です。近所ではないですが、親戚もいます。特に居場所には困りませんでした。 ただその影響で、学校で友達を作るという事をやろうとしませんでした。同級生は広い意味では友達ですが、私は仕事仲間のように思っていました。 居場所の無い子どもが、友達関係に執着する傾向は強いと思います。その考え方と私のような子どもとの考え方の違いで嫌がらせ、犯罪、ハラスメントが起こってしまうという事は頻繁にあるのではないでしょうか。皆に居場所があるような世の中にならなければ、私のような恵まれた人が被害に遭う場合もあるという事です。


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大阪の郊外出身の50代です。中学生時代私にとっては塾が第三の居場所でした。当時は大手の塾も少なく、今は幅広く展開している塾の本校にいました。12人までの少人数制で、校区をまたいでましたので学校の知り合いもほぼおらず、全く別の交友関係でとても楽しかったのを憶えています。塾、勉強、となるのは当たり前ですが、ホッとする居場所となることもあるので、探してみてもいいかも知れません。


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昨今の虐待とかのニュースを見て思うのは子供に必要なのではなくて、親が必要としているおパターンの方が多いのでは?と思う次第。 単純に言えば子育てから解放されたい親は、経済的な面にしろ能力的なものにしろ当然いると思うから、子を手放す、親権を放棄するまで行く必要があるかはさておき、子供でも親でもどちらかが望めば離れて暮らせる仕組みがあると助かる家庭もあるのではないかなぁとおもう。


 


 


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家庭に居場所は、なかったですねえ。うちは両親いましたが共働き、父が当時からアル依存で、自分が主役でないと気が済まない人でした。そのため学校であった事を親に話す、なんてほぼ出来ませんでした。いじめに遭っていた時期も、大人から嫌な行為を受けた時も、黙って大人しく耐えていた。 でも今は、そうやって黙って耐えて来た事は、必要のない我慢だったと思う。もっと泣きわめいて、どこかや誰かへ訴えても良かった。でもその頃の自分は、耐えて生きてくしか術をしりませんでした。救いは、自分は本を読むのが好きで、学校では作文を褒められ賞を貰った事で、自分を肯定出来た事。大人になっても、趣味をかねた仕事にその特技が繋がり、救われています。今は昔と比べ窓口や体制が充実してるので、つらい事があった時は、子供でも、自治体や学校、何処かに頼ってもいいと思う。習い事でも何でも、自分らしくいられる場所を見つけてほしいです。


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家が居場所ではない子どもがいるというのは多くの人にとって信じれない事象かもしれませんが、貧困世帯が多い地域で支援員をしていると、当たり前のように片親の世帯や親が育児を半分放棄しているような家庭が存在します。そういった家庭の子どもはどうしても問題行動が見られたり学力が著しく低かったりします。 家も学校も居心地が悪い。そんな子どもたちにとって「第3の居場所」があることがどれほど救いになるか。 いま日本財団が行っている「子ども第三の居場所」事業が日本社会に広まってほしいと思います。


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小学生低学年の時は保健室でした。 保健の先生が厳しくて暖かい先生だった。 思ってることを口に出せない性格の自分に特に何も言うこともなく仮病だとわかっててもベットで休ませてくれました。 今思えば心のよりどころだったんだと思う。 4.5年生の時は自転車で家とも学校とも違う決まった場所に行き 木とかによく話しかけてました。(周りに誰もいないのを確認後) 今思えば怪しいけど一見すごく普通の子でしたがそんな感じで自分のバランスとってたんだと思います。 親との関係は悪くなかったけど兄弟で上なのもあり思ってることを伝えたりはあんまりできなかったなぁ。 「場所」と言っても子供の時はお金もないし移動範囲も少ない知識の中で 自分なりに居心地のいいところを無意識に探してたのかなと。 中学生になってからは断然塾。 塾は本当に楽しかった。勉強より楽しかった記憶しかありません。。。


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母が忙しく私は手がかかる子だったので優しくしてもらえなかった。二件隣のおばちゃん家が気がついたら居場所だった。 また、母の実家のおばちゃんも行くと可愛いがってもらえた。 ずっと寂しさはあったけど、今思うとそうした場所があったから私は今、こうして生きているのだなと思える。 世知辛い世の中になって本当に居場所がない人も多いのだろうなと思う。 どうか、SNSや、電話相談など何でもいいから自分の話しを聞いてもらえる場所を持ってほしいと願う。


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もう40代ですが、両親共働きで小2から鍵っ子でした。 家庭環境は悪くはなかったですが、とにかく親は忙しそうで、寂しかったんだと思います。 低学年の頃は専業主婦のお母さんがいる友達の家に入り浸り、甘えさせてもらいました。 また児童館にもよく行き、職員の方は優しかったですが、学童の子達に比べると疎外感があり、寂しかったです。 学童に入りたいと言えば入れさせてもらえたと思いますが、親との対話も少なく、その発想がなかったんです。 今から思うとすべて寂しさなのですが、当時はそれがそうとは自分では気づかず、親にももちろん言わず、心のしわ寄せはあったと思います。


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いじめられっ子でしたが、公園に行けば近所の遊ぶ子たちがいました。 学校は嫌いでしたが唯一居心地が良かったのが学校以外の場所でした。 あと、共働きだったため、親は留守でしたが、全然苦じゃなかったな。もとから一人でいるのが苦じゃないタイプだと思う。姉もいたからケンカもしたけど楽しかった。私は、比較的家族に恵まれてる方だったと実感してます。親はありがたいです。


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居場所は私の場合、家と学校の2つだけだったと思う。 暴力行為が常態化していたあの時代、中学期間を凌ぐのは大変ではあったが、それでも小中高を通して、学校は楽しかった。 父の教育方針が少し厳しく、家では絶対に椅子の背もたれを使うなど考えられなかったし、就寝時間以降の咳やくしゃみにも大変な気苦労を要した。たまに間違えって関西弁など家中で使おうものなら、即鉄拳制裁が待っていた。 48年の人生の中で、一番気を遣った場所は、高校卒業までお世話になった実家だったと思う。 それを踏まえて思うのは、それでもやはり、実家は私の掛け替えの無い「居場所」だったと言う事。 記事?と言うか本質問の傾向として、「安心して楽しく居られる場所」=「居場所」と言う論調が感じられるが、必ずしもそう、では無いのかもしれません。ー


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私のサードプレイスは「塾」でした。 学校では楽しく過ごしていましたが、自宅は教育虐待の日々でした。(教育虐待という言葉は大人になってから知りました。) 自宅は何をしてても(それこそ勉強していても)成績が悪い、勉強しろ、他にも書けないほど酷い言葉を掛けられました。 塾は家庭に居場所のない子供に向けて、休館日もこっそり自習室を開けてくれていました。下校後、毎日閉館まで塾で勉強し、塾の先生方が結果も努力の過程も受け止めてくれました。 受験に合格した時は第一報を先生方に伝えたのを覚えています。 あのときの自分の心を支えてくれた先生方には本当に感謝しかありません。


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小学校の低学年から中学校の途中まで、ばあちゃんの家に住んでいた。実家はすぐ近くだったけどものすごく居心地のいいところではなかったし、学校はちょっと苦手だった。 土曜の夜に「8時だヨ全員集合」を見るのが、このうえない楽しみだった。 あとは近所に原っぱがあって虫取りや野球をやっていたけれど、それは本当に楽しかった。 中学校の途中から高校までは実家に住んだけれど、時々ばあちゃんの家に行っていた。 大学は絶対に県外に行くと決めていた。念願かなって一人暮らしになって嬉しくて仕方なかった。 今思えばそういう第三の場所があったというのは、人格形成のうえですごく良かったのだろうなと思う。 でも、おふくろも寂しかったのだろうな。帰省した際に妙に力んで色々やってくれるんだけど、それがちょっと鬱陶しいところもあって、足が遠のいたこともあった・・。もうちょっと親孝行しときゃ良かったな、と思う。


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昭和の子供時代ですが地区の子供同士が仲良くて低学年から上級生まで一緒に遊んでましたし、近しい仲間同士では基地を作ったりし、畑で頂戴した作物を自分の分は自分で上級生に教えて貰いながら皮を剥く事でナイフの使い方を覚え親がびっくりしていました。 本当に貴重で良い思い出になっています。 今の子は雁字搦めで可哀想だなって思うのです。 カメラ監視の息詰まる世界 やっぱり子供時代から登竜門の様な事柄は沢山あって 経験するほうが良いと思うのです。 良いことも悪いことも。。そこから学ぶものだと 感性の乏しい人間が増えて来てる様に感じるのは 自分だけなんでしょうか この話にある家庭内ですら居場所がないという子供が居れば構ってあげたいけれど今のご時世ではそれも犯罪的に言われる変な世の中なので関わりを敬遠勝ちにしてしまっています。


 


 


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この記事の参考には全くならないですが… 家では、親からの愛情を貰えず、学校ではいじめにあってた私にとっては、その延長線である塾も、いじめられっ子という事が広まるので、全く居場所はありませんでした。 今だったら、SNSで誰かと繋がってた可能性は高いでしょうね。 その当時はそんなのなかったから、耐えるしかなかったです。 仲間はずれの子に手を差し伸べたら、自分が標的になるし。 そのせいか、私の人格は時々変わるようになりました。


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家は居場所だったかもしれないけど、親の記憶より近所のこと遊んだこととか、習い事に行ったり、テレビを見ていたことのほうが鮮明。 叱られなかったから、居やすかったのかもしれないけど、ある意味放置でなにも教えてもらわなかったから、一人暮らしを始めて恥ずかしい思いもたくさんしたよ。 それがいいことなのかはわからない。 学校もいじめられた記憶もあるけど、放課後遊んでくれる他クラスの近所の友達もわりといて、学校で完全下校まで遊んだり、帰り道が一時間くらいかかっていたから、その下校中が楽しかった。 第三の居場所があったとしたら、友達と帰る帰り道かなと思う。


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サードプレイスの重要性をとても感じています。学生時代、家庭でも学校でも息苦しく感じていましたが、途中かれ通い出した塾で近隣校の子たちととても気が合い、救われました。学校は行かなければならないと思えば思うほど辛かったです。学校が無理に行かなければならない場所ではない、他の学校という選択肢もあると大人になってから理解できた時にはもっと早く過去の自分に教えてあげたいと思いました。。


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機能不全家庭で育った私には、仲のいい友達の家が第3の居場所でした。 あまりかまってくれない母、帰って来てもTVを見ながら酒とたばこばかりの父、当然夫婦仲も良いわけがなく、実家での良い記憶がほとんどありません。 友達の家はご両親の仲も、親子の仲もとても良く、家も片付いてキレイでとても居心地が良かったです。休日はよく遊びに行き、いろんな所へ遊びに連れて行ってもらったり、美味しいご飯やお菓子を食べさせてもらいました。 親の年代になって思いましたが、他所の子をよくあんなに迎え入れてくれて、我が子と分け隔てなくしてくれたな…と尊敬とありがたさでいっぱいです。もちろん、仲良くしてくれた友達自身にも感謝感謝です。 あの時代があったから頑張れたし、家族の在り方などいろんな事を知る事が出来たし、その後の人生の支えです。 私も機会があれば、友達家族のような第3の居場所になりたいと思います。


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敷地内に祖父母の家があったので、そこが私の居場所でした。 学校も家庭(実家)も、正直あまり楽しいとは思えなかったので・・・。 両親(特に母親)が何をするにも否定してくるタイプだったので、 一緒に過ごすのが苦痛でした。 祖父母はとても話しやすく一緒にいて落ち着きました。 二人とももうだいぶ前に亡くなってしまいましたが、あの時間があったからこそ大きく道を外さずに生きてこられたのかな、と思います。


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私の小学生時代は高度成長、日本総中流時代でした。今の日本は給料を上げるのが喫緊の課題だと思います。私の第三の場所は近所の友達の家です。毎日のように学校で、家に帰って近所の友人と遊びました。近所だと先輩後輩もいました。小学生で一年の上下は体格差もあり年齢が高い方が全てにおいて圧倒的です。学び、学ばせの小世界です。しかも、友達の家族構成、両親の顔全部知ってました。実際、かくまってもらった事もありました。私の親も近所の子が来たら同じようにしていたと思います。今の日本に足りないのは、他人を思いやる気持ち、時間的ゆとり、金銭的な低収入が原因だと思っています。そう言う人間を輩出するには、教育だと思います。日本はやるべき課題が山積ですが、検討ばかり。もう船尾は沈没しています。


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学童に小4まで行ってました。 本当は3年生までだったのですが、人数が少なかったのと、私の学年の数人は学童大好きだったので行かせてもらえてました。ここも私の居場所でした。 小学校でも、放課後先生が教室で作業している時に、居させてくれました。 家が居づらかったわけではないのですが、両親共働きで兄弟も保育所で帰宅しても夜まで1人。寂しかったのを先生達が理解してくれ教室に居させてくれました。静かに教室でお絵描きしたりしていた記憶があります。 学童に入れるまでは私の母の仕事場も。本来子供が行っても相手できない場所なのに、お客様ブースで母の仕事先のアルバイトの方とかが相手してくれた記憶があります。 もう40年くらい前の話です。息子達を育て彼らにはそんな居場所がありませんでした。自分が子供の時代。今思えばいい時代でした。


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子供の頃、家に居場所がないので、いつも図書館・図書室に居ました。そこでは静かにしていないといけないので、誰とも話さなくていいし、好きな本を眺めていればいいし。時には空想にふけっていました。本を読んでいくと、世界が広がりました。自分の周りの狭い世界だけでなく、古今東西の人の生活、戦争があった時代に生きた子供たちのこと、貧しい時代や貧しい国の子供たちのこと、いろいろ知ることができました。今の自分にはいる場所がないけど、自分の力で自分の居場所を見つけようと、小学生の頃からずっと思っていました。子供らしくない、可愛げのない子供を思われてきましたが、今の周りに合わせなくて、きっと自分が自分らしく存分に生きられる時が来ると信じていました。家族や学校でそれなりの役割を演じることに疲れたら、本を読んで自分を見つけましょう。人として成長できるいいチャンスになると思います。


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昭和から平成初期頃までは、社会全体に余裕と余白があり、意識しなくてもそこらじゅうに何かしらの居場所があった。 しかし、庶民の経済状況の悪化や性善説の集団主義から性悪説の個人主義へと人々の価値観がうつりゆくとともに、生活するだけで精一杯で、ほんの少しずつ人が集う場を維持する余裕がなくなり、その結果必要だと言う管理者がいるものだけが残っていったのだと思う。 特に子どもの居場所は、その重要性を理解し維持管理する大人の存在が不可欠で、サードプレイスの必要性が訴えられる社会とは、すなわち理解と余裕のある大人が減っている証だと思う。


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物理的な場所ではありませんが、ピアノを習っていたのでピアノを弾いている時間は親にも干渉されないし、好きなことをやってるしで大切な時間だったかなと思います。 普通の一軒家なのでせいぜい1時間が限度だったけどそういう無心になれる時間って子どもでも大人でも必要だと思うし、尊重してくれた親には感謝しています。


 


 


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自分が子供の頃は、圧倒的に家が安心な場所だったので、子供にサードプレイスが必要という認識はなかった。 しかし友達の中には、家でひどいことを言われた、とか、親にひどいしつけをされた、と言う子もいたので、今になって考えるとそういう子たちには必要なのかもしれない。 習い事は貧困家庭にはハードルが高すぎるし、インフォーマルでもいいが、今のご時世悪巧みをする大人もいるのでできたらフォーマルな形でそういう場がある方が良い。 そして児相とかでなく、親と対立関係にならないようなサードプレイスという形で安心な逃げ場になる場所を作ってあげないといけないのかもしれない。


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自分は居場所無かったですよ。 もちろん家では厳しくされますし、そのせいか学校ではからかう感じでイジメしてしまいました。 それで家に電話着て怒られてって感じでした。 父親は海外に出張する事が多く、母親は嫁姑問題でいつも逃げるように2Fへ、両方守ってくれたおじいちゃんは早く亡くなり、学校も遠かったので友達と遊ぶ機会もそんなに無く、私のストレスの矛先は弟へ。 今は弟は立派な警察官、私は職を転々として一応2児の父ですが、実家は継がずに子供には勉強なんか出来なくていいから自由に育って欲しいです。


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辛くなる原因が他でもない家族であったり、学校の先生であった場合は、逃げようがない。大人は誰でも自分が嫌われていると思ったらいい気分ではないだろう。 先生や親の成績表を作り、どれほど生徒から恨まれているか、嫌われているかを定期的に知らせるのがいい。 子どもが悪い場合もあるが、先生が悪い場合もある。それは圧倒的に子供が不利な現場である学校という現場特有の未解決案件だろう。


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子供だけが集うような場所。 ゲームセンター。 駄菓子屋。 子供の店。 そういったものが今ほとんど淘汰されてしまった気がしますね。 家庭だけの世界で生きるのは、子供には窮屈すぎますし、 大人だって息抜きできる場所が無かったら辛いです。 また、子供が息を抜ける場所で大人が混じっていくことで、また新たなコミュニティも生まれ、それが子供たちに影響を与えるといった世界観も、今は本当になくなってしまっている気がします。スマホやネットといった便利なツールは確かにありますが、体感でしか得られない物もあると思います。子ども食堂などがある地域もあるようですが、そこに行くことによっていじめの対象となっているケースなどもあり、今の時代は居場所というコンテンツが本当に少なくなったのではないかと感じさせられます。


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居場所はどこも無かった。今の子供達のような学童保育もなく、首から鍵をぶら下げて、誰も居ない家に1人居ることは当たり前の毎日だった。自分が親になり、昔よりも窮屈な社会だけど、今の時代 がちょっと羨ましいと思う。 だからかなぁー子供達とたくさんの時間を共有したいと成人したあとも感じてきました。 子供はとてもかけがえのない、自分自身も1人の親として子供からたくさん教わった。成人したあとも尚、教わる心がたくさんある。 居場所は今、年老いてきてやっとあると思えるのかもしれない。


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昭和の頃、田舎の孤立したような町でした。小中高とほぼ同じメンバーで12年間いじめと無視が続きました。家庭では母親は言葉の暴力、父親からは理由さえ無く殴られ育ちました。兄は夜になるとこっそり体を触りにくるような異常な家庭で、安心して眠る場所さえなかったです。正直、学校と家庭ともに居場所はどこにも有りませんでした。生きている事が辛かったですが、ただ耐えるしか有りませんでした。時々、不登校の友人の家を訪ねたりする時間だけが、少しだけ安らげた気がします。似たような辛さを持つもの同士だったかも知れません。また図書館は空間としても、空想の世界へ逃げられる点でも助けられた存在でした。


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学校と家以外にも居場所を持つというか、中学生高校生あたりから社会に接点を持っていくことは必要だと思う。 自分が大学受験のとき、ずっと何となく学校の教科の勉強だけして来て、いきなりどの分野に進みたいか選べと言われてもよく分からなかった。 あらかじめ色々な仕事や社会の活動に触れていれば自分の将来の夢も見つけやすいし、なりたいビジョンが明確ならそこに対する努力にも身が入ると思う。


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ギャンブル依存の家庭で、近所からも白い目で見られてるのが子供なりに分かり、学校も部活もとにかく自分に居場所はなかった。何しても陰キャ代表。 保健室に行く勇気もなくひたすら卒業を待った。そして高校を卒業して今の旦那と知り合い自分の居場所ができた。感謝しかない。子供にはあんな思いさせたくないから自分はご近所さんや学校の行事にもしっかり顔を出して子供が安心する家庭を作ってあげたい一心でした。自分が変われたのはいじめの聖地を去って新しい土地に行けたからかも。 子供達には家族以外に居場所ある?って聞くとどんな答えがあるのかは分からない。家庭がうまく行ってれば第三の場所も不要かなとも思うくらい家族は大切な存在。 結果、結婚するまで第三の居場所は皆無だったと言う結論。


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学校は苦手でしたが、家はそこまで居心地が悪いと言うこともありませんでした。ただ親と喧嘩した時に祖父母の家に家出をしたことがあります。祖父母はどこか精神的な支えだったと思います。あとは習い事ですね。集団塾には居場所がないような気がしていましたが、個別指導の小規模な教室は早めに行ったり、自習と称して長めに居座ったりしていました。私の子も個別指導のアットホームな塾に長年お世話になっています。もし不登校を選んだとしても、その塾には通えるだろうと思います。学校や家庭以外の場所は大切だと思います。


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皆さんのコメント、辛かった方が多いことにびっくりしました。子供でも気を使う子は空気を読んで辛いと言えなかったり、昔は携帯も皆持っているわけでもないので今より言いづらかったのかなと感じます。 長くなりましたが私は夏休みの居場所は祖母の家でした。母子家庭で育ったのですが、母はADHDの症状があり、働いてもうまくいかずイライラを私たち子供に暴力や朝まで寝かせないという、そんな毎日でした。夏休みは唯一殴られない、責められない、ゆっくり寝れる大切な場所でした。 今は自分も働き出して母もストレスがあったのだろう、とほんの少しだけ気持ちがわかるようになりました。自分には子供はいませんが、もしできたら家だけではなく、第三の居場所を作ってあげたいと思います。


 


 


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虐待されてたから第一の居場所であるはずの家は辛いものでした。 そんな事も話せず、なんの悩みもないフリして過ごす学校も居場所とは言えず。 逃げ場はどこにもなかった。 けど、友達のお母さんがいつ遊びに行っても優しく迎え入れてくれて、中学になると友達数人とまた別の友達のお母さんとみんなで色々語り合って。 初めて家庭の事情を人に話せたのもその時だった。 何か対策したり助けてくれたりとかもなかったんだけど、話を聞いて貰えるだけで誰にも必要とされない存在だった私を許してくれる人たちもいるんだと思えました。 きっと友達にとってはただ家に友達が遊びに来たってだけの当たり前の日常だったんだろうけど、私の孤独は友達を通して普通の家庭を見ることで救われた。 大人になれば自分の力で幸せになれると思えたから。 自分が母親になった今は、自分が子供の時に見た羨ましかった友達の家庭を参考にしたりしてる。


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コメント読ませてもらうと自分と似た状況の方が多くて変な安心を得てしまいました。 私も第3どころか第1の居場所もありませんでしたね。 自分が親となり日々子供と向き合ううちに両親への感謝どころか憎しみの気持ちばかり沸いてきます 今思えば実家は変だった、祖父母と両親と姉と暮らしていたけど祖母と両親は今考えたらアスペルガーっぽい。祖父は無口。何で私はあの家に産まれたのだろう、ちゃんとした家で育っていたらもっともっと自己肯定感がある普通の人として生活できていたのに。そんな日々があったから今の幸せがあるとも考えてますけど…。 我が子にはちゃんと愛情注いで日々関わって行きたいなぁと思います。


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子供の頃は学校と家が生活のすべてでした。でも近所にクラスの友達の家はたくさんあったので、放課後は誰かしらの家で遊んだり路地や公園で遊んで時間をつぶしてました。 家の中より友達とケンカして居場所を失うことのほうが辛かったですね。学校で無視されたり仲間はずれにされた時も親には話せなかったです。 その時は本の中が逃げ場でした。漫画も含めて本を読んでると現実の辛いことからしばし逃避できたのだと思います。最後の逃げ場は自分の中の世界だったように思います。


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第三の場所がある事が、むしろ問題では無いのか。 第三の場所になり得る場所は限られる。 自分は図書館などの、一部の公共施設くらいしか思いつかない。 スポーツクラブや習い事が第三の居場所だと言うなら、それは親が金を出しているから、居場所があるという話。 生まれによって、第三の場所が得られるかどうかという話になる。 深夜徘徊などは論外。確かに第三の場所にはなるが、そもそも非行行為だし。 インターネットの出会いはどうだろう。未成年だとトラブルになりかねない。 公共施設を除けば金が必要だし、その公共施設にしても、税金が原資になる以上、基本的には金が必要だ。 金を使わない様にすると、どうしてもトラブルや法律違反がセットになりやすい。 まずは家庭でどうにかするしかない。 家庭に居場所が無いなら、一人暮らしをするしか無いし、それが無理な子供は、諦めるしか無いのでは。


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第三の場所が必ずしも必要ということではなく、家庭や学校に居場所があるものであればその子にとって幸せだけど、そうではない場合に行ける場所があれば良いのだと思う。私は2つの場所に疑問もなかったけど、その世界が全てだと思って小さい頃過ごしました。その世界が全てだと思うと、そこでどうにかしなければと考えます。それも努力の一つだけど、そうではない道もあるのだなと知ることができたら、その時にもっと視野が広がっていたかもな、と今は思います。第三の場所、捉え方はどうであれ、用意があることを伝えることは大切かも思いました。


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親がいつも喧嘩ばかりしていたので、家が居心地がいいとは思いませんでした。 私は良く友達の家に長居して、友達の家族とも仲良くしていたので、親御さんが遅い日に友達と一緒に夕飯を作って食べたりしていました。 今だったら、図々しくてどんな躾をしているのか、と問題になるような気がしますが、とても優しいご家庭でした。 学校も土曜授業があったから、その後友達と遊びに行ったり、部活が土日や朝練夕練あったから、居場所は色々あったように思います。


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親が選んだ塾だのボーイスカウトやガールスカウトが第3の居場所と言うのは、ちょっと違うよね。 結局、親のレールじゃん。 子供が、親や学校とは別に過ごす場所を、子供自身が選択できる機会を、子供全員に与えるべきでしょ。 親が無い子供でも、選べるようにする事であって。 親が上から目線で、子供に対して居場所を下賜したもうた状態になるのは、自由でも選択でも無いんだけど。


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中高と虐められていたので、必然と一人でいることが居場所でした。 仲のいい子もいたけど、学校は基本嫌で仕方なかった。 家では父親が話を聞いてくれたりしてたけど帰りが遅いし、母は私を目の敵のようにしていたので自室に籠ることが多かったです。 結婚相手が理解のある人なので、一人にさせて欲しい時は一人にさせてくれる。 結婚前はあんなに嫌だった「実家の」家ですが、今の一番の居場所は「今の自分の」家です。


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正に最近このことを考えていました。子どもの頃の自分の拠り所について。学校は嫌いでした。先生は高圧的で皮肉ばかり、友達たちとは、いじめるかいじめられるかの戦いでした。陰湿な戦いの日々でした。家では虐待とまではいかなくても父親は粗野で、母親はいつもピリピリイライラ、兄弟もいて、子どもの頃は居場所がなくて毎日が本当に地獄でした。当時はとにかく憂鬱で何もかも無気力で、自分の状況を客観的に見ることなんて出来なかった。自分が要領悪くて、ノロマでトンマだからいけないんだと思ってました。働いて自活するようになり、子ども時代の自分の気持ち、状況を客観できるようになりました。選択権がなく、行動力がなく、不憫だったなぁと思います。90年代は、ドラマやJ-POPが充実していたので、テレビが何よりの喜びであり癒しでした。


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母方の祖父母宅が第三の居場所でした。 母とはぶつかることが多かったのですが、祖母はいつも必ず私の味方でいて時には「お母さんが悪い」と言ってくれたり、叔父も話を聞いてくれ様子を見て助けてくれていました。 とはいえ、小1時にいじめられていた時、おそらく他の保護者からいじめを聞いたのか、他の子供たちにいじめるなと、確か放課後小学校に来て周りの子供たちに言って助けてくれたのは母です。 それ以降、いじめはなくなりました。 担任の先生は見て見ぬふりというより、むしろ一緒にいじめていたような状況だったので、母が怒ってくれなければ、いじめられていたままだったと思います。 改めて思い出しました。もっと親孝行しなければですね。


 


 


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私の育った校区は、団地等もあり、悪ガキも多いところでした。 運悪くいじめっ子気質のある子(相手への配慮が至らない子)と近くなり過ぎた期間が何回かあり、その時は帰宅後に遊ぶマンションの兄ちゃん達、終末に遊ぶ母方の祖母のところにいた従兄弟との時間が楽しかった。 その時の私は、学校と帰宅後、それに週末の居場所が完全に分かれていたのですが、マイナスな環境に置かれた時、良い方向に機能していたと思います。   今の学歴社会に置いては、子ども達に遊ぶ時間は殆どないみたいなので、クラス以外は、部活、塾になると思います。 クラスが良い環境の時は問題ありませんが、仮にうまくいかなかった時のことを考えて、部活と塾は、普段の交友関係外の範囲になるよう、コントロールできると良いかもしれません。


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私は、部活が居場所で、朝早くから夜遅くまで、休日も家に居ませんでした。部活は好きで打ち込んでいましたが、今思えば、家に居なくても文句を言われず、好都合でもありました。うちは文句ばかり言う父の居る家庭だったので、気が休まらず。部活や塾以外、親からスムーズに距離を置ける居場所って難しい気がしますが、絶対必要だと思います。


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このような企画はとっても嬉しいことです。 声をあげる人が多いことが大事だと思います。 今回事件起こした山上容疑者の半生を見ると、壮絶過ぎて、絶望なんて考えたことなくて、自分だったらと胸が痛くなります。 そんな子を助けられる環境があればと思います。 居場所が家以外にある、これこそが、何より生きる力を育むと思います。 うちの子どもの幼少期は習い事が楽しかった。学校ではグループが決まっていて、あまり気の合う子がいなかった。だけど、習い事で違う仲間とバスケや合唱団を楽しんでいた。上の子や下の子と接して、そこも嬉しい所でした。 私の幼い頃、近所同士で近所の子を見てあげていた。お迎え行ったり、食事を一緒に食べたり。みんな助け合っていた。一人ぼっちの子を見過ごさなかった。 家庭が良くない場合、子どもの逃げ場がどこかにないといけないと思う。 子どもの心を救える場所を確率することが、一番今問われる所かも。


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私は50歳前半の男性です。 居場所はたくさんありました。 駄菓子屋、公園、友達の家、釣り。 特に釣りをしているときは友達と一緒に 時間を忘れてやってました。 家と学校の間にワンクッションを見つけられた あの時代は幸せだったと思います。 今の時代は行動より情報なので 居場所ってますます大切なのかなと思います。 時代と共に居場所って変化すると思っています。 リアルじゃない世界に居場所が作られる 今時の子どもたちは本当は幸せになるはずだけど なれない。 そこにリアル世代の親があるからだとおもいます。 10年後は違ってくるかなと。 その時に子供たちには沢山の居場所が 提供されると思います。 (リアル、仮想どちらも)


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私は、小学生から中学の途中まで実の兄に身体的及び性的な暴行を受けていました。ストレス解消なのか知らんけど、4歳上の兄に脅されて友達と遊ぶことも止められて、毎日のように殴られてました。親が居ない日中が最も苦痛であり、学校が1番安心できる居場所でした。第3の居場所は親の考えで通っていた進学塾ということになるかな。進学塾が安心できる場所とは思ってなかったですが、家に居なくて済む時間がすごく貴重でした。学校の無い夏休みが1番の地獄でした。家から逃げることも許されず、思い出に残る子供らしいエピソードは全く無く、記憶はむしろ欠落しています。 ただ、今振り返ると小学校は心理的に1番安心できる場所でしたが、逆に同級生に精神的に依存しすぎていた気もします。私が友達として普通に接していたつもりでも、相手にとっては距離感が近すぎていたのでは。そのような迷惑をかけていたのじゃないかと恥じ入る思いがあります。


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中学校入ると兎に角すぐ結果残すことを求められる結果出せる人や人間関係比較的容易に上手くいくやつは過ごしやすいけど結果残せない人や人付き合い苦手な人はあまり居場所なくて家に引きこもるよな、やはり幼少期子供の時からの教育やしつけはとても重要だし中学生でこれなら社会に出れば周囲の人たちともっと差が広がってるのを痛感する


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もし自分が子供の頃に戻ることがあれば、間違いなく世の中の広さを伝えると思う あの頃は学校と家庭とその通学路周辺だけが自分の知る世界の全てで、そのどちらも居場所と言うには余りにも苦痛に満ちた場所だったから常に何か漠然とした不安や焦燥感に苛まれていたし頭の中を厭世観が支配していて希死念慮の感に囚われていた アルバイトができるようになってから徐々にその檻から解放されるようになって社会人の今が一番楽に生きられているように思う もっとも子供の頃に染み付いたその価値観や考え方そのものは著変がないから、時折ふと厭世的な気分になったりもするし何か変化一つでまた元通りになる可能性は低くない だからこそ戻れるなら世の中の広さを伝えたいし、それが無理なのは百も承知だからこそ我が子には色んな世界を見せたいと思う もっとも我が子に限らずそのような環境を与えられる社会であればなお良いし、何よりそうである未来を望みたい


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地元に異年齢の集まりがあって、基本的には休日に近所の小中学生が集まって遊ぶだけなんだけど、高校生や大学生のボランティアもいて、学校とは違う集団という意味ではサードプレイスだった。 学校の勉強のように出来不出来は関係ないし、習い事のように何か上達しないとという縛りも何もないので、どんな子でもいいところに注目してたような気がする。 そうするとやんちゃな子でもだんだん下の子のことを考えるようになっていったりするんですよね。親に言えないこともちょっと上のお姉さんには言えたり。 地元を離れて親になって、自分より年下の先生の全くの趣味の習い事を子どもにはさせている。まだ幼稚園児だが、ストレスだろうなと思うようなこともあり、趣味に夢中になることで気分転換になることと、親とも先生とも違う大人の存在も重要かなと、意図的にサードプレイスとして習わせている。


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学校も家も居心地がそこそこよかったです。 サードプレースは、塾かな。塾は学校より楽しかった。 祖父母は遠方だったけど、夏休みには長期滞在させてもらって、ここでも友達もできて楽しかったです。 考え見たら 結婚した今こそ、家庭(嫁ぎ先)に縛られて居心地の良い場所がない!! 子どもの学校ではママ友付き合いが面倒だし、習い事も感情だとママ友さんと一緒になる。 実家にも帰れないし、辛いです。


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学校も家庭も居場所だったと思います。 いて苦痛ということはなかった。 両親共働きでしたが、寂しい思いをした記憶はありません。 親は心配症な方でしたが、よく遊んでくれて愛してくれました。 ちょうど小1の時に弟が産まれたので母親が家にいて、学童は行かずに放課後や夏休みも大丈夫だったのだと思います。 両親の実家が遠くて車で数時間掛けて行く田舎なのですが、夏休みや年末年始はおばあちゃん家に行って、それが本当に楽しみだった。 長期休みが終わり家に帰る時、現実に戻るの嫌だな…って思っていたから、第三の居場所なのかも。 そして、田舎というのは自分のルーツという感じで、考えるだけで自分の心の中のお守りみたいな感じに思います。 とは言っても、小学校を仮病使って休んだことはあります。 中学生になると、部活の先輩が厳しくて、泣きながら担任の先生と面談した記憶があります。 だけど一時的な物でした。


 


 


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学童保育が、その役割を担えるんじゃないかと思います。 私は学童という居場所がありました。 ただいま〜と言ったら、おかえり!と受け入れてくれる場所、仲間、大人。 中学生になっても時々ふらっと遊びに行っては、愚痴を聞いてもらったり、安心したり、自分の原点に帰れる気がしました。 自分にとっては安全基地のようなものでした。 小学生の子どもの放課後支援として、学童保育がもっと普及すればと願います。 現在に至るまで支援員の給料はかなり低いため、なり手がおらず、ほぼアルバイトしかいないとのこと。 補助金も少ない中、特に大阪市は家賃補助もなく、働く保護者がお金やマンパワーを出し合い、運営しているところもあります。 預ける場所ではなく、小学生を保育、支援する場所が必要だと感じます。


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家では辛いこと多かったし、学校がとても楽しいというわけではなかったけど、信頼できる友達がいた。 自分の頭に浮かんだのは、友達が、自分に居場所をくれたということ。 毎日、親友と話すことは、たくさんあった気がする。前向きで優しい人、信頼できて尊敬できる人、友達がいたから色んなこと乗り越えてきたのじゃないかな。大人に何も相談なんかしなかった。友達にしか相談できない。 大人になって、ほんのたまにしか連絡を取らない。何年も会わない。それでも、会えば話すことはたくさんあるし心が温かくなるし、前向きになれる。 子供の時代に第三の居場所なんて、持てるはずない。ただ、友達が一番の心の支えだった。


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小学生のころは毎年転校が続いたので、家庭の外に居場所を作ることは困難でした。たまに親戚と接触すると気晴らしになりましたが、外国で過ごした数年はそれも無理でした。言葉が通じないことと文化の違い、当時の日本はまだ格下に見られていたストレスも強かった。読書と工作が好きな子供だったので、本が居場所。ものを作っているときが居場所。自分の心の中が避難場所でした。  中学になってからは趣味の合う友達が避難場所。高校・大学では、居場所はサークル活動の部室です。行けば誰か仲間がいる。いない時は、高校だとアマ無線のクラブだったので、一人で無線機をいじっていました。  大学では文芸サークルだったので、一人のときは部室に備え付けの部誌に好きなだけ、日常雑記とか読んだ本、社会の出来事の感想などを書いておけば、誰かが必ず反応を返してくれました。今思えば、のちの時代のネットの代わりみたいな使い方でした。


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居場所がないというほどではなかったけれど、嫌なことが学校と家庭で重なってしまった時の逃げ場は本でした、その世界観、その時代の中の人たちのいろいろな物語を読むと、今の自分のアレコレを忘れられた。 それと同じ役割を現代ではゲームが果たしているのでしょうね。 スポーツ系も音楽系も関心がないと、学校の部活には馴染めない、そういう層の居場所として。


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居場所って自分で作るしかないのですが、それができない人は大人でも多いです。 一方で、どんな場所でも居場所にできる人がいますが、そういう人はコミュニケーションを楽しむ力があります。 子ども達にも、その力の存在に気づいて欲しいので、そんな大人達と関わる場所があれば、自分で居場所をつくれる人になれるかもしれません。 大人や学生の中には、居場所のない子ども達をどうにかして助けたいと思う人がいますが、個人の力だけでは限定されてしまいます。 それを解決できる公人の方がいたらな、と思っています。


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イジメにあっていましたので、学校に行かなくていい夏休みは楽でした。それでもクラブ活動(強制参加)や登校日は憂鬱でした。 幸い両親がイジメに薄々気がついてからは無理強いもしませんでしたし授業のある登校も時々サボらせてくれるようになりました。 毎週一回稽古がある習い事とそれを発表する土日のイベントは今思うと良い逃げ場であり、唯一自己肯定の場だったと思います。たまたま舞台の私を見た担任の先生が「学校と全然顔が違う」と少し申し訳無さそうに言っていたのが記憶に残っています。


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中学に入るまでは、習い事漬けの毎日で、各習い事の教室が居場所であるはずと親は思っていたようです しかし、迎えが遅いのが苦痛でした。先生の個人宅でのレッスンが多く、お宅の雰囲気(夕飯など)も感じて、迎えが遅いのが申し訳なく、肩身が狭かったです。 そもそも家に居場所が無く、高校以降はコンビニエンスストアで友人とたむろ。特に高校時代は、携帯電話で呼び出され、夜のコンビニの駐車場に集まるのが習慣化。何も買っていないのに!他に居場所が無かった。。 バイトを始めてからは、たむろしつつ、サークルKのおでんをよく買いました。友人と一緒に食べる時間が、とても楽しかった。ローソンでも、おでんを買って自転車で移動して、道端に座って友人と食べてました。 自分にとっては、心身共に自由になれる時間は、コンビニでの時間でした。 部活も頑張ってたけど、部活は仲間と高めあったり競争する場所であり、居場所では無かったです。


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今思えば何ヶ所かあったし、作る努力?は子供ながらしてたかも知れない。 学校は嫌な思いも割とあったから、自己防衛というか本能のようなものがあって逃げ場所(気を抜ける場所)が必要と感じてた。当時は理屈じゃなくて自然とそうしてたように思う。 そうして安心出来る場所へ行くとやっぱ似た様な境遇のやつもいたりして自然と仲良くなったり……。大人がいても何となく察してくれて優しくしてもらったな。 今思えば「分かってる」大人のほうが多かったように思う。だけど今は他人の子にも自分の子と同じように叱ってくれたり、励ましてくれたり面倒見てくれる大人が圧倒的に少ないように思う。仕方ないかもだけど。コンプラや体罰やら雁字搦めだもんな。で、体罰与える側も拳に「愛情」がないから余計叩かれる。で愛があっても叩けない負の連鎖だしな。叩かれる方はちゃんと分かってるのに。有る無しが。


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私自身の幼少期、家庭も学校も安心できる場所ではなく、母方の祖父母に夕方預けられることが多かったので、そこが第三の場所でした。50年以上たった今でも、懐かしく思い出されます。家庭では、小学校に入学して暫くしてから、父が自営業を始めたので、優しく子煩悩な父親が毎日いてくれて、家が安心できる場所になっていったのを覚えています。幼い頃に、よく叩いた母も、最近亡くなり、亡くなったと同時に許せなかった気持ちは消えました。その当時は、そうせざるを得ない色々があったのではと今は思っています。 私の子どもは、母親である私の実家に同居している母子家庭で育ちました。この子は、多分、学童が第三の場所だったと思います。小学校6年生からは、スケートの選手になったので、たぶんスケート場だったと思います。 その子どもが一番好きな場所、好きな人たちに囲まれていることが一番大切だと思います。血の繋がりは二の次で・。


100

秘密基地を良く作って空想の世界に浸ってたかな。それも友達が有ってのことだが。家庭と学校に匹敵するようなものではなかった。精神的居場所としても比較にならない、家庭や学校は無くてはならないが友達は無くても生活はできる。習い事もいくつか行っていた、楽しい場所ではあったが学校と比較するようなものでは無かったかな。幸せな環境だったと言う事か。考えたこともない。