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「吉田拓郎」のいったい何がそんなに凄かったのか、音楽ファンから高くリスペクトされる理由

 

 吉田拓郎が、ついに歌手活動からの引退を表明した。


ニュース速報

 

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難しいことはわからないけれど、いい曲いっぱい書いて、作品が高く評価された結果だろうと思います。この人も多作家で、本当に名曲ぞろい。他人に提供した楽曲も、名曲が多い。キャンディーズにはじまり、森進一さんの「襟裳岬」等々、数え上げたらキリがありません。歌唱についても、拓郎節とでも言うか、独特の歌い方で一度聴いたら忘れられない味があると思います。わかりやすいメロディーラインで、大衆受けする作家であったことは間違いないと思います。


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更に追加すれば、その歌唱力。曲先も詞先もあっただろうけど、曲に対して歌詞をのせる技術。後にサザンが英語もどきの日本語でサザンサウンドを作っていったけれど、拓郎さんは独特の早口で拓郎節を作り、その表現がより詩に深みを持たせた。また、その詩における言語感覚が、作詞と言うより作詩に近いものが多い。歌詞ではなく根本的に心情表現としての本質的な「人」に対する洞察力が深く、表現力が高い。時に軽やかで、と思えば急に涙腺を緩める。中島みゆきのファイトをまるで自分の曲のように歌える力。美声ではないけれど、間違いなく吟遊詩人アーティストと言える。まさにボブディランの如く。


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私は元々、浜田省吾さんのファンでした。(今もですが)。その中、省吾さんがイメージの唄をカバーされて、聴いた時、衝撃を受け、拓郎さんにも目覚めました。省吾さんのような戦争批判や、世間に対する批判、風潮のメッセージ色の強いものは無いですが、王道のフォークソング、身の回りでの生活などを、こんなにもわかりやすい歌詞にして感動させてくれるシンガーソングライターは、少ないのではないでしょうか?もう引退されるという事ですが、たまには曲を歌って欲しいなと願っています。本当にお疲れ様でした。


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付け加えるならこの人は「ファンに媚びない」というスタンスを貫いて成功した最初のJ-POPシンガーだと思う。 広島フォーク村時代はプロテストソングを歌う人だったのにいきなり「結婚しようよ」を発表して大きく方向転換して当時のファンから批判されたりしてるし、その後も音楽性のみならずTVの歌番組に出ない、引退宣言する等々とにかくファンの要望より自分の感情の赴くままに…という言葉が似合う人。 一方で「世間の流行にすぐに飛びついて熱くなるのはやめよう」という70年代の”しらけ世代”の感性は持ち続けている。 そういう姿勢が今の現役のJ-POPシンガーに直接的・間接的に影響を与えていると思う。


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それと当時の巨大な歌謡界、芸能界、テレビ界と戦った事だと思います。 一青年が巨大な組織に立ち向かった簡単に出来るものじゃない、 おそらく70年に活躍したアーティストはその事をわかってるくせ言わない、(自分がやった とか自分でも出来たとか)テレビに出なくても成功出来る事も拓郎からだった、  残念なのは拓郎は決して反体制や反戦を歌では主張しないし、似非平和イベント等にも距離を置いた気がするので左翼文化人等にアンチが多かったのでメディアの取り上げ方が少ないのでは そこが素晴らしいと思う自分ですけど、 青臭い詞や臭いパフォーマンスのアーティスト好きが多いのも事実ですけど!


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個人的には、デビュー曲の「イメージの詩」が好きだった。戦後も続いた封建的、年功序列的な社会に、異議を唱えるプロテストソングだった。 アト、「春だったね」も名曲だと思う。どう考えても、字余りになりそうな歌詞を、広島風のイントネーションの、独特のメロディに見事におさめてしまう。吉田拓郎にしか作れない曲だと思った。 そして、吉田拓郎が「遺書のような曲を作って欲しい」と中島みゆきに依頼して出来上がった「永遠の嘘をついてくれ」。つま恋での二人の歌唱は、何度聴いても、自らの海外体験と重なって、涙を抑えられない。


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先日のLOVE LOVE 愛してる の最終回の所々に挟み込まれる吉田拓郎さんの話ぶりを聞いて、失礼ながらこの方はとんでもなく深いことを考えたり感じたりしながら音楽を作り発信されてきた方なのだなあと思いました。 その時代にブレイクして勢いに乗ったミュージシャンではなくて、ものの感じ方が奥深く繊細で、言葉の使い方も大変上手く、過去のエピソードからたいそうに我がままでいらした?ようですが、何故か憎めなく人を引き付ける優しい何かを持った方なのでしょうね。 素晴らしい音楽的才能と人柄がリスペクトされ続けてきた理由でしょうね。 引退最後に魅力的な一面が見られて、まだまだこの先もずっと拝見させていただきたいなあと思ってしまいました。 是非ハワイロケをされてもう一度テレビに出てきていただきたいと思いました。


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吉田拓郎が他のソングライターと違うのは 自身による「作品プロデュース」を拘りぬいた点だと思う あれだけ詩作の才能があれば、普通は全て自作でOKとなるものを アルバムのコンセプト次第で平然と複数の作詞家を起用していった感覚でしょう 例えば、岡本おさみと松本隆なんて対極にいる世界観に思えるけど 聴けばどちらも自然な「拓郎作品」としてトータルで成立している事が本当に凄い


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もう一つ、印税関係におけるレコード会社業界におけるシンガーソングライターに対する待遇の改善が挙げられると思われます。 フォーライフレコードを立ち上げる前までは、拓郎さんをはじめとしたシンガーソングライターに対するレコード業界全体の印税契約の待遇が悪く、歌唱印税のみの待遇で、ましてや拓郎さんは、デビュー当時はエレックレコードのいち社員としての契約なので、印税というそのものが無かったと言う。 拓郎さんはCBSソニーに移籍して以降は、レコード会社からの待遇は決して悪くは無かったと言うが、そんな中、当時の売れっ子アーティスト達が革命的に会社を立ち上げた事が、後のシンガーソングライター達が彼らの動きに追随されないように、各レコード会社がシンガーソングライターに対する待遇面の見直しを行い、後のサザン、ユーミンなど、現在におけるシンガーソングライターの地位の確立に繋がったと思う。


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60年代にビートルズ、ストーンズ、ボブディランらを聴いてきた世代の才能が70年代に開花しましたね。 「3分では表現できない」として、TV出演を拒否したのも拓郎からでした。 デビューしたての若者ですから、相当、戦ったと思います。でもそれがあったから、フォーク、ロック系は若者の支持を得て、ステータスを確立したと思うね。


 


 

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初めて聴いた時には、衝撃を受けました!関西人でしたから、「岡林信康」傾倒でした。中坊の夏休みに、連れから!これ、貸したる。聞いてみてんって云われ自宅に戻り、LPレコードに針を置いて流れ出した曲が、「春だったね」でした。出だしから、こんなん!聴いた事無い!頭の中で鐘が鳴り響きましたね。それからは、拓郎に狂ってしまい!気付けば「50年を」コンサートにも度々行きました。ギター演奏然ることながら!トークが、最高でしたね。勿論、最初の「つま恋にも」バスツアーで参加をしました。凄かった!360%見渡しても、人!人!人ばかりでしたからね?日本の音楽史を、塗り替えた先駆者です。拓郎が出現しなかったら····今在る、音楽産業が!もっと遅れて居た筈です。この時代に参加出来て、幸せでしたね!お疲れ様でした。拓郎!有難う。


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あと一つ、拓郎さんの功績を付け加えるとすれば… 功績なのかご本人の持つものなのかは分かりませんが、拓郎さんはご自身の気持ちを逆で伝えるだけでなく、「話しの面白い方」でもありました。 深夜のラジオ番組のDJとして何年も人気DJとして君臨し、その飾らない人柄がまた、曲と相まって人気を確立したように思います。 今、さまざまなアーティストたちが自身のホームページなどで、メディアに脚色されない自分の言葉で気持ちを発信しています。その走りが、拓郎さんの深夜のラジオ番組だったような気がします。 泉谷さんも陽水さんも岡林さんも誰もしていなかったことです(小室さんは拓郎さんの番組によく出ていましたが)。


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吉田拓郎より約10歳若い者です。彼の生き方と彼の歌には、自分もこのようでありたいと思わせるものがありました。そして50年近くにわたってそのようであろうとし続けてきました。今もなおです。そのようなミュージシャンは彼だけでした。彼よりも音楽的に素晴らしいと思える人は何人かいましたが、そのようでありたいと思わせる生き様や歌だと思える人は彼だけでした。その差は私にとっては大差で、他の誰かでは代替できる存在ではありませんでした。


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これほど評価されてるのに、近年の「歴代邦楽名盤ランキング」では拓郎のアルバムは無視されることがある。はっぴいえんど、岡林信康、井上陽水などのアルバムは入ってるのに拓郎のアルバムがベスト100にも入ってないのは、あまりに失礼だし、不自然すぎる。かわりに、一過性のアルバムが入ってたりする。だからそのランキングの権威に説得力がないのだ。。海外では歴代名盤ランキングでは、ある程度評価は定まってるのに。


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この記事の作者よりは年上だけど、評論家ではないので、ペンタトニックとか知らんし、んなこたあどうでもいい。 当時は全部ひっくるめてフォークソングと言われていたので、何の不思議も無くフォークソングだと思ってたけど、後から振り返ってみれば、拓郎の歌はフォークソングじゃない。メロディーを付けた私小説だ。 メロディーに無理やり歌詞を詰め込んで字余りになる拓郎節は、今までの歌に無かった新しさがあった。 大瀧詠一は言葉を変な所でぶった切って、それでも上手にメロディーに載せていて、メロディーの美しさを損なうことが無かったけど、ちょっと聞いただけでは分からない部分もよくあった。 しかし、拓郎の歌詞はストレートで分かりやすかった。 拓郎の音楽業界における功績にも興味は無いけど、中津川フォークジャンボリーで声が出なくなるまで延々と「人間なんて」を歌い続けた拓郎は凄いと思う。


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拓郎さんご本人も仰ってたように、KinKi Kidsとの出会いで若者にも支持されるようになったと思います。実際、あいみょんのような若手アーティストにも支持されてた訳ですし。 LOVE LOVEあいしてる最終回見てましたが、案の定さんまさんも出演しましたね。かつてゲスト出演した際に拓郎さんの事を熱弁してたくらいですから。で、まさかの木村が止め役となり、さんまさんのお喋り暴走を強制終了させたのはちょっと笑えました。 LOVE LOVEあいしてるのテーマソング♪全部だきしめては小学生の時、上級生を送り出す時のBGMに使いましたが、これもまたピッタリな曲だなと改めて思いました。 今年で引退する拓郎さんの事は後世にも語り継がれることだと思います。


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難しいことは分かりませんけど、それまでのフォークジンガーと違って曲がよくメロディーメーカーでもあるし、とにかくアルバム元気ですのジャケットなんかを見ても思いますが見た目が大きく違いました。 コンサートへ行って思いますが、姿勢が美しく、歌ってギターを弾いている時のかっこよさは70歳を超えてもNo1です。


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あんまり当たっていないな。 あの時代の分析がされていない。 時代が彼を必要とした。ボブ・ディランがそうだったようにフォークからロックに進化させたように、拓郎もイメージの詩で日本語ロックを切り拓いた。彼から日本語ロックが生まれたといっても過言ではない。ドラマーとしていたのが浜省。直接、間接どちらにせよロックを日本で初めて切り拓いたのは拓郎だ。


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J-POPとカテゴリー化される前の、つまり、歌謡界に包摂される前の「ニューミュージック」の時代において、吉田拓郎は金字塔だったと思う。 ジャズやロカビリーやカントリーの先行はあったが、記事にある自作自演が旨となる「ニューミュージック」は反戦フォークとベンチャーズそしてビートルズが輸入されて形成された。 このムーブメントは音楽的な変革のみならず、「ニューミュージック」は産業革命的なものだった。フォーライフの設立もその一画であり、吉田拓郎なくしては成らなかった。 ただ、既得権を持つ芸能事務所とレコード会社は強かった。 独立と巨大化との間という中でもがいた吉田拓郎の名は音楽産業史に燦然と輝くだろう。


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初期のラブラブ愛してるを見る限り、本当に嫌そうな感じで出演してた。 それを変えたのはKinKi の2人の気がする。 多分吉田拓郎さんは、若造のアイドルと仕事したくないよって気持ちがあったと思うが、KinKi の2人の音楽に向き合う姿勢や、音楽を楽しむ姿を見て、どんどん楽しそうな顔に変わっていった。 そして本気で吉田拓郎さんをリスペクトしていたKinKi の2人。 KinKi Kidsじゃなければ、あんな顔にならなかったと思う。


 


 


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自分としてはコアなファンではないし、オンタイムでライヴも行ったこともない、ドンピシャ世代でもない。少年時代、ハマっていたTVドラマの主題歌とBGMが拓郎さん作曲で、それと知らずに聴いて良いメロデイだなとずっと感じながら時が流れた。拓郎さんの真髄は、ファンでなくともその音の力だけで心をつかむ、真のメロディーメーカーなのだと言うことなのかなとしみじみ思う。引退との事。メディアでお顔を拝見出来なくなるのは寂しいが、あらためて作品群、聴き込みたいと思う。


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ここ、ひと月程前から毎日のように、拓郎さんの記事見かけます。 小6~中1になる春休みに『青春の詩』のアルバムを買ってもらい、それから50年間、片時も拓郎さんの音楽を離れず生きてきました。 長い間、僕らの想像できない程のプレッシャーを背負って、いたかと思われます。本当にご苦労様、ありがとうございました。 数ある名曲で、拓郎さんが、何度か闘病生活を乗り越えた後の、曲が最近特に心に響きます! 逆に、『落陽』『人生を語らず』等は、今は何故か聞く気になれないな~! 最後のアルバムは、今年いっぱい仕事をリタイアしてから、じっくりと聞きたいです。


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拓郎節っていうのかな?。自然に引き込まれるものがあるんですよね。拓郎さんは楽曲提供も多いですが、他の人が拓郎作品を歌ってもそれを感じる。フォークソング出身者が時代に抗えずに撤収していく中、拓郎さんは最後までアーティストとして一線に居続けた理由が音楽を聴けば理屈でなく体で理解できる。


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1975年のつま恋オールナイトコンサートは、拓郎が「日本でもウッドストックライブのような事が出来ないか?」と考え実現し、その後の大規模野外コンサートの先駆となった。今では当たり前の全国ツアーライブは拓郎がアメリカで観たボブ・ディラン&ザ・バンドの「偉大なる復活ツアー」に影響されて、日本で初めて全国ツアーを敢行した。CBSソニー時代には自らの作品をプロデュースするという、ミュージシャンのプロデューサーとしての地位の確立をめざし、後に設立したフォーライフレコードで成就させた。日本の音楽史には拓郎以前と拓郎以後で大きな変革が有ったことは間違いないと思う。


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何かの番組か何かで聞いた気がするが、この方は変に英語や日本語英語を入れず とてもふさわしい日本語で歌詞が埋め尽くされている、と聞いたことがある だから日本人に直接刺さるのではないかと思うし、心に残る 一度聞いただけで、知らずに口ずさんでいる自分がいる それに引き換え現代Jポップは、まるで小学生の絵日記か?としか思えない そのまんまのことを、そのまんま時系列に並べているだけ(笑) 比喩も何も無くまさにそのまんまで、飛躍も無ければ想像も膨らまない だから自身に当てはめようもなく、感動などしようがない もう少し、昭和の歌詞の使い方を勉強してもらいたいものだ・・・ せっかく曲が素晴らしくても、歌詞を聞いてシラケてしまう


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曲がいいのは大前提として、フォークのプリンスと言われたように、拓郎はルックスがカッコいいのだ。それと、他の誰にも似ていない生き方を実践し、我が儘であろうが、全てを許してしまうそのキャラクターも唯一無二。つまり、代えがいないのである。それを人々は凄いと思うのではないか。


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詳しいことは分かりませんが、1966年生まれの者としては、彼はフォークシンガーとしての印象が強く、我々世代にとってはアリス、オフコースの方が印象が強いです。音楽史的にはこの評価で合っているんだと思いますが、当時はJPOPと言う認識は余りなく、演歌、歌謡曲、アイドル、フォーク、ニューミュージックのくくりで、分類されていたと思います。


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イメージの詩って確かに広い解釈が取れそうですね。 自分も何年か前に初めて聞いたんですが、ボブ・ディランのように厭世的というか、良くリベラルな方から祀り上げられていますが そんな人達からも少し距離を置いてるような、そんな感想を持ちました。 少し厭世的で少し退廃的で、幸せでも少し気怠そうな、そういう歌を歌ってる所が私は好きですね


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コンサート行った時拓郎さんも会場内も学校の友人のような近さだった印象でした 羨ましい気分と緊張感がほどけていく もっと男気的で怖いのかと思って行ったので ゆっくり歌も聞けたし合間の友達に話し掛けるような雰囲気が今まで行った色々なイベントとは違う楽しめたって満足度があったな いい距離感


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57年生まれの私にとって、気付いた時にはビートルズが解散していて、拓郎さんはそれに取って代わる日本のビートルズという認識で特別な存在でした。 それ以来私の中では、拓郎さんを太い幹として音楽シーンが展開して来ました。 最近は、あいみょんばかり聴いていますが、先日のあいみょんさんと拓郎さんの対談は非常に興味深く拝見させてもらいました。 その際、拓郎さんの仰っていた 「シンガーソングライターはカッコ良くないとダメなんだよ!」 は言い得て妙だなと思いました。 浜省さんも佐野元春さんも、そしてあいみょんさんも、そのカッコ良さには今だに憧れを覚えます。


 


 


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70年代のシンガーソングライターと呼ばれた人たちは、 洋楽を聴いて育ちロックやブルースのバンドをやっていた人たちが多い 拓郎はデビュー直後の「イメージの詩」「結婚しようよ」「人間なんて」辺りが神がかっていた(今聴いても凄いと思う)為に、フォークのカリスマ的に祭り上げられてしまった印象が強いが、記者の言う通りPOPSの人ですよね。 音楽的な引出しは元々広くて、カリスマを引き受けるのは早々に飽きてしまった感が強い。森進一の「襟裳岬」やキャンディーズの「やさしい悪魔」あたりの仕事はとても楽しんでやった気がする


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この時代の前、吉田拓郎たち以前にいた存在が、阿久悠だと思う。阿久悠や筒美京平らは、専属の作詞家、作曲家という職人的なポジションにあって、大きな意味あいを作品作りにそれぞれ割り当てられていたと思う。 映画でいえば、脚本家みたいなものだろうか。とにかく阿久悠の世代の人たちは歌手から先生と呼ばれ、作詞専属の意味あいがすごかった。その後、何でもできる人がでてきて民主的になると彼らの価値が揺らいでいった。だから阿久悠もその世代の人に露骨に危機感をもっていた。 阿久悠らと拓郎、陽水らを隔てるものは公の概念があるか、プライベートかだと思う。年長世代はざっくり「公」を意識して音楽を作っていたということを自分で言ったりする。それ以降、世相とともに何でも自分でできるシンガーソングライターがあらわれ好きなこと歌うのは当然の流れになった。 ざっくりいえば拓郎の時代から個人の時代になったと理屈っぽくいえる。


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私はキンキ世代でLOVELOVE以降の拓郎さんしか知りませんが、総括とか拓郎さん自身が求めてないんだと思います。LOVELOVEもあえて通常回のような進行だったし。自分のことは語らないのにキンキの25周年の特番には喜々としてコメントを寄せキンキの素晴らしさは語る。かっこいいなぁと思いました。 ah-おもしろかったの中ではTogetherが好きです。こんな時代に歌詞の世界が平和で平和で泣きたくなります。


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先日お亡くなりになった山本コウタロー氏が、昭和49(1974)年に出版した「誰も知らなかったよしだ拓郎」は、同氏が同48(1973)年3月に一橋大学社会学部を卒業するにあたり卒業論文のテーマに《吉田拓郎》をとりあげた(卒論の正式なタイトルは「たくろう・スーパースター」というのもで約350枚の論文)ものを同氏の言葉を借りれば拓郎伝であると同時に拓郎論として世に送り出したものであり、もちろん出版された半世紀近く前は拓郎もコウタローもミュージシャンとして現役バリバリだった訳だが、今日読み返しても異論をはさむ余地のない吉田拓郎についての歴史的偉業の数々を客観的に伝える内容であり、拓郎が活動休止を宣言し、そして、コウタロー氏が亡くなった今だからこそ多くの人に読んでもらいたい。


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吉田拓郎の凄さを伝える良い記事。サザンの桑田さんに繋がるエピソードは成る程と思う。2人とも異端にして王道。 残念なのは音楽的評価が低い気がしてならない所。吉田拓郎の引退のタイミングでもっと再評価されて欲しい。


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親戚のお兄さんに初めて買ってもらったLPが吉田拓郎さんでした。大好きになり長く聞いてました。今でも私にとって特別なアーティスです。 引退は残念過ぎます。ラブラブ愛してるも毎回楽しみに見ていましたし、自由人で気難しいイメージだった拓郎さんが、若い人と同じ目線で楽しんでいるようすに、ますますファンになったものでした。 今回ラブ愛最終回でも、大御所の威圧感はまるでなく、若い人の良いところを認めて尊重するようすは、どれだけ年を重ねてもこうあるべきという姿を見せていただきました。 ハワイで釣って、ぜひまたラブ愛ラスト続編をお願いします^o^ キンキ始めラブ愛スタッフの皆様、素晴らしい番組をありがとうございました。


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熱い時代だった。 その時代にあのだみ声でがなるように歌い上げる歌は心をさらに熱くした。 音楽界を歌手が歌う時代から自分たちで作るシンガーソングライターへ 変えていった一人でもあると思う。 今みたいに優しく緩い時代ではなかった。 とんがったやつらもいっぱいいた。 いっぱい無茶もした。 その中に吉田拓郎の曲がいつも流れていた。 そしてギターを持って歌った。 そんなおじさんたちも大勢いるでしょう。


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賢く評価すれば、この記事のとおりのことなんだろうとは思うけれど、『よしだたくろう』は思いの外真面目なビジネスマンであり、また音楽家だったと思う。 小室等や陽水、泉谷と立ち上げたフォーライフレコードもなんとか危機を乗り越えて未だに残っているのは『よしだたくろう』が、小室等から社長業を引き継いでからだったと思う。陽水の大麻事件などがあっても責任をもって対応していたし、よく社長として会社を存続させたと思う。 音楽家としての評価はこの記事のとおりではあるが、いち『よしだたくろう』ファンとしては、初期の頃のあの尖っていた叫びにも似た歌詞が、いつのまにか、優しい柔らかい表現に変わってしまったなぁ…と寂しさを感じる。 せめて、『ペニーレインでバーボンを』を復活させてほしいと思うのだが…。


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拓郎よりひと廻りと少し下の世代、自身は大学生の時に聴きまくった。心の深層部に入り込む唄と内容に内省的な感性を育んでもらえたと思い、それは少なからず自身の人生の歩み方にも影響を及ぼした。 先日のKinkiとの番組後、久しぶりにまた良く聴いている。「凄い︎」と思った。還暦迄あと少しで手が届く自分だが、彼はその半分と足らずで人生の山・谷を悟った様な世界観と表現力を有していた。人生折り返し後に聴く拓郎もまた味わい深い。 世界も日本もササクレだって混沌とする中、心の拠り所を見失いそうになる日々。今日は「アジアの片隅で」を聴きながら、世の中本質的には何にも進歩してないな…と複雑な気持ちに包まれながら、拓郎の心地よいシャウトに身を預けていた。


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「今日までそして明日から」が好きですね。 音楽は本来希望を歌うものでしょうが、諦念を歌う、すごく浅い表現で言うと「開き直る」、その言葉の中に救いと希望がある。 理想と現実の乖離にますます苦しんでいるであろう今の若者たちにも響くんじゃないかなと。


 


 


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もう一つ大きな功績は、今当たり前になっている『全国ツアー』のやり方を日本で最初に始めたのが拓郎です。つまりバックバンド(ホーン・コーラス・ストリングを含む)・音響・照明らのスタッフを機材は大型トラックで運び、演奏は事前に入念に合宿して完成させ、そのままのパッケージで全国で同一品質のパフォーマンスをする。それ以前は照明・音響機材やスタッフも現地の会場で間に合わせるのが普通だった。拓郎がギター一本で弾き語りをやってたのは最初の2~3年だけで、所属したエレックレコードが貧乏でバンドをつけてもらえなっただけですね。73年以降はほとんどロックバンドです。


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吉田拓郎というとすぐボブ・ディランの影響という話が挙がるがそれが吉田拓郎の独自性ではない。ディランの影響なら岡林信康や友部正人や斉藤哲夫らも受けている。吉田拓郎の独自性はデビュー当初からアトランティックソウルの影響を消化していたこと。ここが他のアーティストと全然違う。


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中学の頃だったと思うのだが、たまたまテレビでつま恋のコンサートが流れていた。 人間なんてと繰り返している唄に衝撃を受けて、吉田拓郎を聴くようになった。 1985年のオールナイトのつま恋はその場にいることができた。最高の夜だった。 2006年のかぐや姫との再演は中継とDVDだったが、それでも最高だったなと思い出す。 中島みゆきとの永遠の嘘をついてくれは、今聴いても涙が出る。 拓郎はこれまでも、もう古い歌は歌わないとか、もうコンサートはやらないとか、言いながらいつも裏切ってくれた。 拓郎のこだわりを否定する気はサラサラ無いが、いつの日かまた唄いたくなったなと、サラッと唄ってる拓郎を期待して。


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吉田拓郎さんは今の若者に生まれても成功した人の1人ですね。 あいみょんが大ヒットを飛ばして、ルフィもかぶってる。これなら吉田拓郎さんは今に生まれても売れるなと思いました。麦わら帽子。 昭和から平成、令和と売れるんです(笑)ってのは置いといて、深く考え過ぎていない、風や雲に流されていくような歌詞、空を見上げて歌えるような歌が大好きです。 後は山下達郎さんなんかは、昔も有名ですけど、今の時代の方が歌い方的にめっちゃ売れるんじゃないかなとか、お二人より少し若いけど、鈴木トオルさんとかは今ならかなり売れるんじゃないかなとか。 もう、シニア域やおじいさんでも今をも凌駕する良いアーティストさんは沢山いますね。


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1958年生まれの素人からひと言。難しいことはわかりませんが、その当時の感覚、イメージとして、「結婚しようよ」がとてつもなくインパクトがありました。聞いたことのないような歌詞と曲調。それまでは精々(グループサウンズは別にして)渚ゆう子がベンチャーズを歌っているのが新鮮に感じたくらい。その後は言わずもがなの活躍で「ニューミュージック」は拓郎のおかげで進化し、今日の「Jポップ」があるといってもいいと思います。陽水や中島みゆきもいるけれど、まぁ、拓郎とユーミンでしょうね。元々は。


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世代とかもあるだろうけど、例えばアルバムをかけっぱなしにしても飽きないのが昔 3曲目くらいで同じ曲過ぎて飽きるのが現代 だと思う 拓郎、さだまさしなんかは父の世代、自分はピチカート・ファイブだったりスガシカオだったりだけど曲の並びも含めて計算されているなと感じる 今、アマプラなんかで楽曲とか聞いてると同じ曲が同じように続いてると感じる 曰く、時計の針は戻らないけど空に手を伸ばして存在を認めてほしい桜舞い散る夜に翼を広げて廊下を走る 1曲めの終わりと2曲めの始まりに気づかない、曲調がアップテンポだけ/逆もあり 今の曲が売れたい売れたいで同じベクトル向いてるだけだと思うわ それでも売れてる曲はアップダウンがあったり聞かせる部分があったり、そこは昔と変わらない


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初めて拓郎さんの楽譜を見たときには、驚いた。音符ひとつに言葉が多い。 【ある雨の日の情景】とか、【リンゴ】の、リズムとビート。 【制服】のような叙情的なものに合う声。 改めて凄かったなと思う。


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拓郎さんがデビューしてすぐに、小さなライブを開いた所に行った。パイプ椅子1つでハ−モニカを首に掛けギターひとつで座ろとした時に観客と些細な言い合いになり帰れコ−ルが始まった所拓郎さんが顔色変えずに、いいよいいよ聴きたくないならオレ帰っていいよと柔らかく答えていたのを昨日のように覚えている。オカッパの長髪だったけど、こんなに数えきれないほどヒット作品を作曲しフォークの第一人者になるとは当時思いもしなかった。これからは何もかもシャットアウトして普通に余生を楽しんでもらえたらと思う。


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吉田拓郎という偉大なアーティストが日本の音楽界、ミュージシャンに与えた影響とその軌跡を語るには、膨大な時間が必要でしょう。 吉田拓郎さんだけでなく、戦後から50年代にかけては、井上陽水、谷村新司、さだまさし、中島みゆき、ユーミン・・といった日本のフォーク、ニューミュージックの礎を築いた優れたアーティストが生まれた。世代は少し遅いけど、同じ時代に生きていることに感謝です。


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1970年代初頭。 1960年代後半の キューバ革命、パリ5月革命、アメリカベトナム反戦運動、 世界動乱の時代の影響は日本にも及び、 新宿高校や西高校での学生運動 日大闘争、全共闘運動、あさま山荘事件があったわけだが 音楽史は 五つの赤い風船「遠い世界に」 北山修「戦争を知らない子供たち」 赤い鳥「翼をください」 岡林信康「友よ」「私たちの望むものは」 「自由への長い旅」等があったわけだが、 拓郎は、 「イメージの詩」 「結婚しようよ」 「今日までそして明日から」 「旅の宿」等で、 日常の幸せ、身の回りの日々の生活の幸せを歌った。 この価値観が、平和を歌っていたフォークソングの重苦しい テーマと対立する概念として受けいられた。 元々、拓郎は政治には興味のない人間。 作詞家の岡本おさみ、松本隆の歌詞もよかった。 1979年夏の篠島のコンサートが彼の頂点だと思うが カリスマ性があった。


 


 


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LOVELOVEあいしてるの最終回で拓郎がギターの持ち方がカッコ悪いのは大嫌いと言ってたのが意外だった どちらかと言えばカッコなんてどうでもよく、本質が大事だろう!っていうタイプだと思ってた 良い意味で裏切られた感じだった だから感性を大事にしてるんだろうな 自分はバリバリのリアルタイムでロック好きのオッサンだけど拓郎のメロディーラインは日本人には抵抗なく入ってくるのがあるな しかし、きれいな引退だった いつかハワイの特番を見てみたいですな


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ボブ・ディランって詩人としての評価が高いけど 音楽的にもフォークという枠にこだわらずアメリカの伝統音楽の追求をずっとしてきた人よね 吉田拓郎も代表作を聴いても日本人のフォーク歌手の中ではサウンドへのこだわりというのは強い人だったんだろうと思う


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拓郎の功績は、そんなもんじゃない。 それまで、反権力、反戦などが、 若者の社会的うねりを生み出す原動力だったところへ、 人間、あるいは、自分自身と言う 本来であれば個人のカテゴリーの属する事柄で、 大きな社会的エネルギーを生み出してしまったことにある。 それは、音楽がイデオロギーを超えた瞬間だった。 人間なんてを30分も歌い続ける彼に、 若者が大合唱する光景をみれば、わかるだろう。 彼が作ったのは、人間への切なさ、苦しさの上で 生き抜こうする社会だったと思っている。


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拓郎の曲は歌詞が単調でもあり少し乱暴なところもある。 それがその時代だった気がする。 でもオレは拓郎を今でも聴いているしこれからも死ぬまで聴き続けると思う。 100年先まで歌い継がれる名曲も数多くある。


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吉田拓郎を知ったのは高一の春何故か同級生の自宅に遊びに行く事になって、彼が大の拓郎ファン(この言い方も数十年以上ぶりに使った)で、かつアコースティックギターを弾ける人だったのが、個人的に洋楽ロックにはハマりかけていたけど、カルチャーショックで、ベストアルバムを借りてラジカセでダビングして聴きまくったのが最初の出逢い。 その彼とはその後何故か友だちになる事もなかったが、貴重な音楽の出逢いのきっかけとなった事に感謝している。 フォークにはそれほどハマらず結局はその後洋楽ロック好きを突き進むことにもなるが、後年日本のロックを見直すことに躊躇なくいけたのもこの経験があったからだ。 当時唯一買った拓郎のアルバムがLive73で、バックでギターを弾いていたのが高中だったのも驚いたが、ボブ・ディランがロック転向したかのような編成のバンドサウンドで、落陽などもノリがいい曲になっていた。


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中学を卒業する時、クラスメートがフォークソングのユニットを作って歌ったのを聞いてギターを買い、高校では毎日休み時間に友達と歌っていました。そのころ新曲を次々出したシンガー・ソングライターの一人が吉田拓郎で、どの曲も弾きやすく歌いやすく、欠かせない愛唱歌でした。  当時の日本は若者がやたらに多く、社会全体が騒々しい青春期を迎えた感じでした。高度成長とその反動の反体制運動の時代、拓郎の歌は社会派の叫びと、ナイーブな青春の喜怒哀楽を併せ持ち、心にしっくり染み込んだ気がします。彼は日本が本当の豊かさに向かって歩き出す一時代を、真摯に彩った人でした。  …こう書いていると、改めて今の日本の経済と社会の惨状を思います。日本が受益国だった冷戦の終結後、せっかく勝った産業を守る戦略を持たないまま他国に追い抜かれ、少子化対策にも失敗。30年も負け続けて、まだ再浮揚の道が見えない。それがなぜかも分からない…。


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凄くは無くて自然だったと思いますよ。 自然だから長く愛され、リスペクトされたのが実態です。 レイチャールズなどのリズム&ブルースなども吉田拓郎は影響を受けていたようでした。 岡林+ハッピーエンドなどと並んで登場してきましたが、当時は確かに新鮮でした。 当時の音楽界のスター達とは違う、すごく身近な存在で有ったのが良かったのだと。


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拓郎の深さを知ったのはユイ音楽工房社長で拓郎のプロデューサーであり その後「南こうせつ」「風」「Boowy」「長渕剛」「今井美樹」「杏里」をデビューさせ今日の日本の音楽業界の礎を作った巨人「後藤由多加」の存在がある。 日本の音楽史上最高のプロデューサーであり現在も(株)フォーライフMEの代表取締役社長である。この人物を差し置いて拓郎の存在を語ることは出来ない。二人三脚で音楽業界を駆け抜け、若者に新しい価値観を与えた。私は二度ほど拓郎氏に会ったことがある。とっても怖かったことしか覚えていない(私は音楽関係)日本のある種の音楽文化を教えてくれた偉大な音楽家に間違いはないが、当時拓郎が一番否定していたテレビやアイドルのキンキと共演し、 自分の偉大な音楽人生の最後に選んだ事に関係者一同ある種違和感を感じたのではないだろうか・・。


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私は30代前半で、吉田拓郎さんの曲は片手で数えるほどしか知りませんので、世代の方と比べたらさほど詳しくはありません。 聞いた印象でしか語れないのですが、どの曲もストーリー性があり叙情的だなと感じます。 語り口調も柔和だし時にはユーモアも交えてお話をされるので、人柄の良さを感じますね。 色んな人から好かれるのが何となく分かる気がします。 そう言えば、映画クレヨンしんちゃん(多分オトナ帝国の逆襲だと思う)の挿入歌で流れてませんでしたっけ?


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40代半ばです。物心ついた時にはもう拓郎さんは過去の人になっていましたが、約10年前、youtubeで聞いてはまりました。何が良いか???全体的なパッケージが良いとしか言いようがないですが、安心して聴ける心地よさがあります。トークが面白いのも大きいです。


 


 


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拓郎さんは、天地真理さんのような歌唱力あるアイドルに歌を提供し、演歌や歌謡曲、フォークソング歌手の境目をとっぱらった人で、それができるだけ、音楽の勉強をしたと思います。 カントリーやいろいろなものを勉強して、枠にはまらない人だった。


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私も拓郎さんより若い世代だけど、コンサートに行ったとき、何が凄いかは理屈抜きです。演奏している時の醸し出す雰囲気、曲や歌っている時のボリュームある声、ギターの音色が生きているみたい等、凄かった。あいみょんさんが父親の影響と言っていて、拓郎さんに似ていると言われていたのも感動しました。


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吉田拓郎は、井上陽水と並ぶフォークソングの旗手。 長髪、ジーパン姿で、ギターを弾きながら、自ら作詞・作曲するシンガーソングライターの先駆け。 テレビに出ないことで有名だった。 当時のフォークソングは、若者の心情を綴った詩が特徴で売りだったが、吉田拓郎と井上陽水は作曲でも優れた能力を持っていて、それが後のアイドル歌手などへの楽曲提供につながった。 作曲の才能だけで言えば、井上陽水の方が上だと思う。


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拓郎さんは時代の先駆者でした。開拓したことは沢山あります。お疲れ様でした。 1.TBS、ニッポン放送、文化放送それぞれのラジオ深夜放送でパーソナリティを務めて、当時の若者の心を掴んだこと 2.作詞、作曲と歌唱を一人で行うシンガーソングライターを職業として確立し、続々とヒットを飛ばしたこと 3.春と秋のコンサートツアーを若手イベンターと企画して全国を回り、当時のうさんくさい歌謡曲興行主らの世話に一切ならなかったこと 4.つま恋1975、篠島1979、つま恋1985の3回のオールナイトコンサートの企画と実行。今の夏フェスの元祖です 5.1985年国立競技場で開催したALL together nowの総合司会を務めて、各世代のミュージシャンを一つにまとめたこと 6 ミュージシャンを守る「FOR LIFEレコード」の参画と後の社長就任など 尊敬します。


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借り物の洋楽を、日本語で実用化した 字余りソングも甚だしかったが、分かり易く、それで漸くその後、まともなミュージシャンが続いた。功績は大きい。洋物を、和風にアレンジして、食べ易くして、更に美味しくしたようなもの


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吉田拓郎がこの時代をリードしていたのは間違いないが、彼ばかりでなくこの時代、中島みゆき、井上陽水、松任谷由美・・とシンガーソングライターが次々に現れ、フォークの隆盛期となったのである。 彼ら彼女らに刺激されJ-POPと言われるジャンルには次々と歌手・シンガーソングライターが登場してきた。 この様な状況であったため拓郎一人が抜き出ていた様な表現は適切ではない。


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拓郎の世代じゃない、後世代なので、彼について詳しく解らんが、70年代フォークブームの中でも、他の歌手と違って、四畳半臭さや辛気臭さが無かったのも特徴な気がする。南こうせつやさだまさしのように反戦や平和などのイベントにも一線を引いて、自分のやりたい音楽を貫いたというか。 フォーライフレコードを立ち上げたのも、当時歌手が自主レーベルを立ち上げるのが奇抜やった。 以前youtubeで泉谷がたちあげたチャリティーの「日本をすくえ」という動画を見たが、彼のリーダーシップとプロデュース力には舌を巻いた(´・ω・`) ただ、レコード会社や事務所主導で歌手を演じるのでなく、自分で音楽の全てを一から作り上げて、何処にも属せず我を貫く。というスタイルが日本の音楽界で唯一無二のインパクトを与えたのかも。オリコンチャート何位になった。というような陳腐な土俵のインパクトでないから、後世に語られるのやろう


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日本の音楽界、歌謡曲シーンに偉大な足跡を残した吉田拓郎さんの引退は非常に残念だけど本人の意思だから仕方ないですね。 もしかしたら本人の気持ちが変わって引退撤回してくれたらファンの方々は嬉しいだろうが吉田さんの考えがあっての引退宣言だからありがとうございました♪と感謝するしかありません!


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昔セブンスターショーと言う音楽番組があってその1人に知らない歌手の人が出てきて母親に吉田拓郎さんだと教えてもらった。歌詞も曲も自分で作って字余りみたい感じだけどなんかいい曲でこんな凄い人もいるんだと興味を持ったのが最初かな?五木ひろしや森進一など人が作った曲をみんな歌っていたから衝撃的だった。歌詞は他の人が作ったが落陽やメランコリー 襟裳岬など 我が良き友よや結婚しようよなどずっと記憶に残ると思う。女性は荒井由実だよね? いちご白書をもう一度は 特に これからは米津玄師さんや常田さんやあいみょんが引き継いていくのだろう。


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音楽史も、音楽理論も、ロジカルどころか少し調べればすぐわかるような中途半端な記事でした。特に「Jポップ」につなげて論じるのには物凄く違和感がある。ボブ・ディランみたいにもっと文化的に大きな存在感があり、この著者のキャパを明らかに超えた人物だと思います。


 


 


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ス―ジ―鈴木さん、この様な記事をありがとうございます。 仰る通り拓郎さんは、奥行きも横幅もそして高さも有りすぎて、語り尽くす事は至難の技だと思いますが、多分皆が思っていた事を丁寧に纏めて頂きました。 意外にアッサリと一線から退いた拓郎さんですが、それがまた彼らしく皆の中に強烈に残ると思います。 改めて過去の作品から、色々聴いている毎日です。


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スージーさんの素晴らしい記事に感服。拓郎の軌跡に感服。正に日本のミュージックシーンの黎明期から今日に至るまでの歴史を刻んだ拓郎。どれだけのアーティストが拓郎に憧れ拓郎を目指して大成して来たことか。メロディに単なる字余りでない訴えるべく数の言葉を乗せた斬新さは、現在のポップミュージックには常識のように扱われている。正に未来のミュージックシーンをも形成したパイオニアだった。 現代の心地よく誰の耳にも入り込む美しいメロディラインは全てが拓郎の曲の派生の様に思えてしまう程、偉大だったという事だろう。


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今では「当たり前」になりましたが「テレビに敢えて出ない歌手」というスタイルを確立したことにも触れて欲しかったです。 当時小学生でしたが雑誌(か何かで)テレビに出ない理由について「自分の歌は1曲全てがメッセージでテレビ番組のために一部だけを歌ってもメッセージは伝わらない。だからフルコーラス歌えないテレビには出ない。」という内容の記事を読みました。「テレビは出ない、取材は受けない、オレはオレの道を進む」ってカッコ良かったですねぇ。


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吉田拓郎さんが、ラジオで行った言葉です。 「俺たちが歌ってきた歌なんて、プレスリーとビートルズの延長線上にあるだけ。大した事はやっていない。でも、桑田佳祐ってやつの歌は、ちょっと違うな。プレスリーやビートルズの延長線上には無い、少し新しい歌だと思う」 吉田拓郎さんが言うから、納得してしまいます。


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同じコードパターンで違う曲を何曲も作れるのはすごい、しかも学問的には低レベルなワンパターンのメロディーラインだけど当時の若者の心を掴んだのもすごい、って昔の音楽評論雑誌に書いてあったなぁ。 職業作曲家とは違う土俗的なメロディだよね。


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私は1967年生まれで、この記事を書かれた方と ほぼ同世代。よって、吉田拓郎が熱狂的に迎え られた頃をリアルでは知らず、吉田拓郎よりも やや下の中島みゆき、さだまさし、アルフィー、 竹内まりやといった所に傾倒したが、吉田拓郎 がいなければ彼(女)らの活躍もなかったかも しれない。 吉田拓郎が、これらの後輩と積極的に交流して いる(ように見える)のに対し、しばしば対比 される井上陽水が一匹狼的(に見える)のも 興味深い。 それにしても、吉田拓郎がミュージシャンの 引退宣言に先鞭をつけたことで、後に続く人が 出て来なきゃいいのだが。勝手ながら、これは マネしないでほしい。


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60代の私なら、拓郎で通じるし、吉田さんとよぶなら、吉田茂元首相以外にない。 誤解を恐れず表現するなら、「過去のもの」になったということ。若い方はその時代の社会的背景などの記憶はないわけだから、今日的な尺度の評価になり、それでいいと思う。 次は、ほぼ同時期に出てきた井上陽水の音楽シーンへの総括が待っている。


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60年代後半にポピュラー音楽市場が大きくなって業界が大きく変わるんですよ。 著作権などの整備もあるし、制作の形が変わるなど。 日本のみならず英米なども。 それまでは日本のレコード会社は邦楽部と洋楽部に分かれてて、 邦楽部は、企画を立てて、おかかえの作詞家・作曲家に発注して、 おかかえの楽団が演奏し、おかかえ歌手が歌ったのに対して 邦楽部は、外国のを契約する法務の仕事やったんです。 それが'69年頃から、ナベプロの頃から、 自作(作詞・作曲)自演(演奏・歌唱)録音までやって 原盤権をレコード会社に売り込む形ができるんですよ。


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この記事には 70年安保当時の若者たちが抱いていた 「世界を変えられるかも」 「この闘いの後に、僕らの時代が来るかもしれない」 という漠然とした感覚に関する視点が欠けている ビートルズの流行や世界的な反戦運動 カウンターカルチャーの勃興なしに、当時の音楽シーンは語れない


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小6のとき拓郎のLPを友達の家で聴いて衝撃を受け 抱きかかえて借りて帰った道も着ていた服も覚えてる。 結婚しようよの世界観は新鮮で強烈に憧れました。 ベランダにTシャツ、チャペルで結婚式、洋画の中の世界! かと思いきや旅の宿では日本の叙情的な風景。 浴衣を着て二人で上弦の月を見上げながら熱燗、、 子供ながらにうっとりしました。 暗いフォークより良い。このあとにユーミン、サザンと良い時代でした。


 


 


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このライターさんとほぼ同世代でリアルタイムでは知らなくのちのち自分が音楽に興味を持ち、リアルタイムで活躍していたアーティストが吉田拓郎の影響受けていて、そこから拓郎を知っていったので、この記事は共感できる部分が多いです。「結婚しようよ」とかは子供ながらにもなんとなく知っていましたが、歌番組で他の歌手が歌っていた「襟裳岬」や「やさしい悪魔」が実は吉田拓郎が作っていたとは後々になってから知りました。


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吉田拓郎の功績は数えきれない、又この後に出てきた井上陽水、中島みゆき、荒井由実、さだまさし等々、言葉選びの天才たちのシンガーソングライターたちが日本のミュージック界をけん引して来たのは認めなければならない、彼ら達をリスペクトするのはやぶさかでは無いが、一つだけ意見を言わせてもらうと、今現在聞くに堪えない高校生の詩のような楽曲になってしまったのは、自分の語彙の無さに気づかず自分たちにも作詞、作曲ができると錯覚させてしまった罪ですね、


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残念ながら私は拓郎さんの字余りの歌詞が好きでは有りませんでした。 歌詞で衝撃を受けたのは井上陽水さんでした。 余り反戦だとかメッセージ性のある歌手は苦手でした。 陽水さんはビートルズが下地に有るだけのことはあってフォークと言いながらポツブスやロックに近かったと思います。 初期のアルバムは特に好きでした。 拓郎さんや加山雄三さんなど引退表明が続いて淋しい限りです。


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人生を語らず、たえこマイラブ、風の街、ペニーレインでバーボンなど1975年前後の曲、御伽草子やマークⅡなど73年頃の曲、s24年生まれのうちの母親がよく聞いてたので、私は世代が違うにも関わらず吉田拓郎のヒット曲を割かし知っている。勿論陽水も。やはり親の影響は、音楽に関しては特に大きいね。子供の頃繰り返し聞いてきたから、絶対に忘れることないし。


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難しい所はよく分からん業界だが、昔キンキキッズとよく歌番組で共演して先生してたイメージが強いかな。 作曲にもよく名前が出て、良い歌が流れて、素人でも歌の世界のなんか凄い人ってイメージは持ってると思う。


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kinki kidsと絡んだことでしょう 昔からの人間でも、若い世代に上手く絡んでもう一旗上げたのは羨ましいんです 一次のにしきのあきらさんもそうでしたね 意地を張りたいとこですが、若い物差しに合わせられるというのは本当に素晴らしい!


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私は、拓郎世代ではありませんが人間なんてや結婚しようよなどの名曲は幼いながらも私を興奮させてくれましたよ。拓郎さんの青春の詩を聴いてギターをはじめたのも拓郎さんのおかげです。少なからず私の青春に影響を与えてくれました。


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ただ売れた、いい曲を書いた、というだけなら陽水には敵わない。ただ、まわりへの影響力、つまりカリスマ性では陽水を上回っていた感じだった。陽水もそのあたりはわかっいて、両雄が並びたっていたな。フォークというデュランに影響を受けた日本のミュージシャン達の中で。


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コンサートツアー、オールナイト野外コンサート、レコード会社設立。0から1を産み出すのは並大抵ではできない。拓郎がいなければ業界は今と違う形だったか、もっと遅れていた可能性が高い。 あとプロデューサーとしてもなかなかで。ある年の早い時期に、今年は山下久美子とアルフィーがくると断言。事実、赤道小町がヒット。なのにアルフィーは来ないじゃないか、とファンからクレーム。が年末ギリで別れのリズムで注目され、次がメリーアン。


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ボブディランに影響を受けて、歌で反戦、人生を語るのが拓郎さんのスタイル。 「イメージの詩」「青春の詩」「今日までそして明日から」「マークII」など名曲がたくさんあった。 そこに色恋の歌が加わって、いろんな歌手に楽曲を提供。 ステージでは観客を喜ばせて、拓郎さんもそれなりに歳をとってしまった。


 


 


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吉田拓郎と尾崎豊はボブディランの影響を受けたミュージシャン。 良いお手本から音楽を習えば良い音楽が作れることを証明した。 功績云々というより一人のミュージシャンが日本の音楽史に名前と足跡を残した。


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>この時代の前、吉田拓郎たち以前にいた存在が、阿久悠だと思う。阿久悠や筒美京平らは、専属の作詞家、作曲家という職人的なポジションにあって、大きな意味あいを作品作りにそれぞれ割り当てられていたと思う。 この部分は違うと思います。阿久悠や筒美京平は職業作家でしたが専属ではなくフリーです。 GS時代の前はレコード会社は古賀政男や吉田正などの専属制度でしたが、GS時代以降、専属作家制度が崩壊して、すぎやまこういち、阿久悠、筒美京平といったフリーの作家が台頭して日本の音楽も飛躍的に発展したと思います。


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ノーベル文学賞をもらったのは ボブディランでしたっけ? 拓郎さんの詩にもボブディランが 出てきますよね。 拓郎さんの場合は日本語だから、 ノーベル賞はなさそうだけど、 当時の時代の空気の中で、東京やらを めざしながら、女性を愛して、 なんらか生きていく青年というものを 歌にし、 聴いた青年たちも、そうなんだよなあ、 と言葉にしてもらったことが  うれしかった。 自分は、拓郎さんを聴かなかったら、 もっと出世して偉くなったんじゃないか、 とか思ったりもしたことがあるけど、 拓郎さんに出会わなかったら、とも 考えたくない。


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今聴くと(否、80年代でも)演歌、ムード歌謡で、若者の心なんて70年代前半までしか捉えられなかったろ。音楽的には革新的なJPOPとは言えない。 その証拠に聖子、明菜、チェッカーズといった80年代ポップスは今の若い世代でブームが起きてるが、70年代前半の拓郎の音楽は全く支持されてない。 既に80年代に「遠い過去の人になった」のが吉田拓郎。 彼は過大評価されすぎ。


95

多分、井上陽水や桑田佳祐、小田和正、さだまさし・・・あたりが引退やら訃報やらニュースになった時はこの様なコメントも沢山でるのだろうな!??? そうそう、ユーミンや中島みゆきさんも忘れてはいけない!特に今の時代、女性には気を使わんとね︎ 俺にとっては"ひとつの時代の終わり"を感じるがそれ以上は"言葉にできない"ね。一言二言では、語れないもん!みんな! こうやって時代って奴は流れていくのだよ!目立つのは成功者だからさ! ひとつ寂しいのは、風の大久保くんや森田童子さんが亡くなった時ももっと語って欲しかったな。


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子供のころ,初めて買ったアルバムが吉田拓郎の「元気です」でした。初めて好きになったアーテイストで,たくさんの影響を受けました。LPもEPもたくさんあります。ある時期から曲から離れていましたが,最後のテレビ番組を観て涙しました。50年以上の長い間,お疲れさまでした。そして,今までありがとうございました。


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日本の歌手は歌がうまいのではなくて、聞くものは歌詞でいいと感じている。海外の者は歌がうまい。歌詞の意味が分からずともいいと感じる。それは海外の者が歌唱力があるからだ。


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ある意味「天才」の吉田拓郎。 Jポップ、フォークと分類するよりは「吉田拓郎の唄」と個人的には思っている。 当時はフォークと分類されていたがロック調で 吉田拓郎しか歌えない唄なので生で聴きたい歌手だと思った。 ビジネス的に成功を収めたのは後からの話です 拓郎自身は自分が好きな詩、好きなメロディーを自分なりに作ったのが評価され続けてきたと思う。 分類などせずに「吉田拓郎の唄」「吉田拓郎の世界」を聞いてれば分かる。 歌声は親しみ易く耳に違和感なく聞けるが、 拓郎の唄は難しいと言われてます。 今、聴いても古いとは感じずに新鮮味を何度も味わえる唄ばかりですね。 「吉田拓郎だけの唄」なので天才に相応しいです。


99

本当に、73年のLIVE音源は凄まじいよ あの当時のボブディランや世界のトップの連中にも、まったく引けをとらない 拓郎がというよりはバックの演奏が凄まじい 日本の音楽というものが、こんなにも凄いレベルにあったのか?と驚愕する。それが奇跡の一瞬だったのか?そうだったとしても、その一瞬を記録してあることで世界に誇れる程の音源である。あのLIVE音源は当時のアレサやJBのLIVEに肉薄するんじゃないか?世界はシティポップの次に拓郎で騒ぐことになる


100

次々と吉田拓郎の世代のミュージシャンは、年老いてきました。同じ世代を生きて、彼らの音楽を聴いてきましたが、これから、彼らの様な心に残る音楽は、もう生まれてこないような気がする。同じ広島で育ち、拓郎さんを見てきましたし、音楽も聴いてきました、本当に、ご苦労様と言いたい。また、これからもずっと拓郎の曲は聴いていきます。