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「麦茶くださいでしょ」“子どものしつけ”に賛否

 

 夏休みに入り、子どもと接する時間が増えるなか、ネットでは親子のこんなやり取りが話題になっています。


ニュース速報

 

 イイネ

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子供の頃から、 ちょっとしたなにかをしてもらったとに、 半ば反射的に「ありがとう」って言う習慣をつけておくのは悪いことではないと思う。 そのためには、例に出てきたような「練習」は必要だと思うよ。 乳幼児のうちは、意味もわからず 形だけでも真似してても、 「ありがとう」というと、時々親以外の人に 「あら、いい子ね」とほめられたのが嬉しかったりして、「ありがとう」というと相手が喜ぶってことをしって、習慣として定着していく。 お行儀って、小さいうちは、 そういう繰り返しで覚えるんじゃないかな。 最初は形からはいって まずは「ありがとうの言える幼児」になってから、「ありがとうの気持ちを持つ小学生」になればいいよ。 そして、いちいち感謝の気持ちが……とか考えなくても、無意識のうちに「ありがとう」っていうことばが出るようになれば良いと思う。


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あまりにも驚く記事の内容でした 躾と思って子供に教える事が大人への忖度だと言われたらもう何も言えません やってもらうことが当たり前の事など親子間でも無いと思います 自分のために何かをしてもらったらありがとうと感謝する事は当然だと思ってきました でもこれは子供だけの責任ではなく周りの大人の言動は大きいと思います 大人の私たちも意識して生活する事が大切だと思います


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家の中で出来なかったら外でも出来ないので小さな頃から親が見せて習慣をつけるのは大事だと思いました。 大人でも自分基準のありがとうしか言えない人がいますよね。そういう人に限って自分は言ってる、出来てると思っているので、良い大人になってから習慣をつけるのはなかなか困難です。 いかにありがとうを言える機会が溢れているかを小さいうちから見せて教えるかが大事だと思います。 例えば、プレゼントを貰っても自分が気に入ったものじゃないからありがとうが出てこない人。 何をくれたかはさておき、自分のために考える時間や労力を費やしたことにまずは感謝できる人であってほしいです。


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心ない子供になるとか大人に忖度する子になるという意見には全く賛同できない この母親の言ったことは至極当然のことだと思う 子どもは親がいろいろ面倒を見ることになんの疑問も持たない 当然のことなのだが、やはり親への感謝は必要なことである それをこういった何気ないことを通じて子供に教えるのは必要だと思う


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子供は親の言った通りにはならないけど、親のする通りにもならないと思う。 親が張り切って挨拶する様子を見ていて、親がしてるから自分はする必要なく育った子もいるし、子は親に甘えてるから言葉遣いにも気の緩みがでるから親の通りになるとは限らない。 ひたすら言い続けて言い続けて、それでもそのまま大人になるって感じが現実かなー。 結局大人になって、これではダメだと恥ずかしい思いをして自分から意識しないとなかなか治すのは難しいよね。 子供の時、親が言ってたなーこういうことだったのかと思い出してくれれば親の役目は終わりかと。


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兄弟でもちゃんと礼儀できる子とできない子がいるように必ずしも親のしつけが全てではない けど、まずは親の礼儀を見て育つのには間違いない 言葉使いの汚く、礼儀ができない両親からは、ほぼそういった子しか育たない 親とその後の環境に依存するけど、親がダメだとその後は、ほぼ礼儀はおろか非常識な人になる 親が口うるさく言うのば、正しいと思うし、それを否定する親はそもそもそういった礼儀ができない家庭だったと思う いずれ社会に出て苦労するのは子供というのを理解すべきだろうね


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そういう言い方をするものだと親がちゃんと教えているのに周りが強制はいかがなものかと口出しするのも余計なお世話だと思う。親が繰り返し注意することで子供も「あ、そうだった」と気づくきっかけになるし、最初は形からだったとしても大きくなった時に周りとのコミュニケーションを円滑にできることで、大事な事を教えてくれていたんだなと親に感謝する場面もあると思う。自分で気づく事ができるならそれに越したことはないけれど、できない子もいる。自主性とか言ってほったらかす親よりキチンと注意できる親は素晴らしいと思う。


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「ありがとう」とか「ごめんなさい」を教えるのは、私的にはしつけではなく一般常識を教えているのだと思っています。たとえ意味をしっかり理解できる年齢ではなくとも、自分以外の人になにかしてもらったたら「ありがとう」と言えるようにすることに意味があると思うから。意味がわからなかったら感謝も謝罪もしなくていいわけではないでしょう。意味を理解できるようになるのは、きちんと言えるようになってからでも遅くないと思います。


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SCのスーパーバイザの人が保護者向けの講座で言ったのは、「子供は親の言うとおりには育ちません、親のする通りに育ちます。」。目からウロコの名言だと思った。勉強させるには親が本を読みニュースを聞き、子供に問いかける。感謝の言葉は、親が使っていれば、子供も使う。 教師をしていると、トンデモなく出来る子と出会うけど、大抵保護者は「特別な事はしていないんですよ」って答えるけど、それは、保護者にとって普段している事が、自分に厳しく周りに優しい、自ら学ぶ姿勢を貫いているからなんだと、物凄く納得した。


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「ありがとうの強制が大人への忖度忖度を生む。」 この言葉に習えば忖度も出来ず、空気も読めない大人が育つわけです。 忖度って悪い事みたいに書かれてますけど、本来は決して悪い意味の言葉では無かったはず。 5S運動(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)って言うのが工場なんかでありますが、最後の「しつけ」は言ってみれば「反復によって行為を定着させる」という意味。 これって大人にも根気が必要になります。 自分が行った行為で相手が「ありがとう」と言ってくれることはお互いに気持ちの良いことです。 この行為を「強制」されて出てくるのでは無く、親の反復によるしつけによって条件反射的にでも口から出てくるのであれば、こんなに素晴らしいことは無いと思います。 「茶・飯・風呂」といった単語で会話するのでは無く、自分がどうしてほしいのかという言葉を添えることも当たり前ですが重要なことです。


 


 

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強制ね…。 でもね、他人に何かしてもらうのに命令口調でしか言えなかったり、してもらったことにありがとうを言えない人に育ったら、その子が人間関係でとても苦労することになりますね。 親が手本を見せるのと同時に、子がきちんと言わなかったら、訂正してきちんと言わせる努力は必要だと思います。 見聞きしていさえすれば、そうすべきだと理解する子供ばかりではないから。


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こんな事も出来ない程なのかとビックリする。学も一昔前に比べたら高学歴になってるのに、教科書に無ければ何も出来ないのか。外から見たら様々意見は有るだろうが、学校や何やらの前にやはり親が教えなくてはならない事は不変なのだから、虐待では駄目だが、自信を持って教えてほしい。それが冷たい言葉か愛の鞭かは、受け取る子も理解するはずだ。子供に気を使ってばかりなら苦労するのはその子自身であるのは明らかなのだから、親と子の会話は重要だと思う。


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なぜ必要なのか教える必要があるし、子供のうちから深く考えることが必要だと思う。 その上で子供自身が成功したり苦労したりと経験して身につくものだと思う。 しつけに正解はないし(暴力とかはダメだけど)実際育って大人にならないとわからない。 子供と関わる仕事をしていたけど、親が礼儀正しいと子供も礼儀正しかった。 逆にダメな親を見ると、やっぱりこの親にしてこの子ありと思うことがほとんどだった。 初めのしつけや教育は大事だと思う。


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人間関係を円滑にする手段として必要なスキルだと思ってるから、うちではこの記事と同じように小さい頃から教えてる。 同じことでも言い方ひとつで相手の受け取り方が全然違う、というのは大人だからわかるけどそんな細かいことを幼児はわからない。 「家で出来なくても外では出来るなら、家でくらいいいんじゃない?」と言われたりするけど「家でできないなら気が抜けた拍子に相手との関係性とかは関係なく家と同じようになる」と思ってるから、どんなに無意識でもどんな場面でも通用する対応、言葉遣いができるようにしておくほうがいい。 幼児期からそうやって育ててきた我が子は、小学生になったころ「ここがわからないから教えてください」や「手伝ってくれてありがとうございました」などとても礼儀正しいお子さんですねと褒められて本人も喜んでいた。 当たり前のことを当たり前にやるのは意外と難しいことだから、最低限は教えてやるべきと思う。


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子どもは大人を観察し真似をして成長していきます。 「麦茶」と言う大人が身近にいてそれで麦茶が出てくるからそれで良いと考察し、同じ言動をしているのだと思います。 子どものしつけと同時に、身近な大人達の躾も同時に必要かと思います。 小学生ぐらいだと感謝の気持ちまではまだ難しいかなと思うが、その意味も含んでいるのだという事を教えてもいいかとは思う。 何にしても、子どもは大人の反面教師だという事を大人達は肝に銘じ気を付けなくてはならない。 大切なのは子どものしつけより、大人がどう生きて居るかなのかな。


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必ずしも因果関係があるかどうかはわからないが、教育関係の仕事をしている自身にとって、言葉遣いは気になります。 ある程度は大人が注意してくれると助かります。 子どもは大人ほど、内と外を使い分けしないので、注意されるのは致し方ないとは思いますね。


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教育や躾の考え方は無数にあって、どれが正しいかではなく、親が教育者がどれを選ぶかの話。 保護者として、どれを選んでも良いと思うが、選択した行動自体の妥当性によっては虐待と謗られることもあるだろうし、結果が芳しくないこともある。 そうなった時に言い訳せずに、責任をいかに取れるかが問題。 どういう子に育って欲しいから、どんな方法で育てていくのかを責任をもって、自分で考える事が大事ですね。


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子どもにどう育って欲しいかは親の永遠の課題ですよね。私も二人の子どもを持つ親としてよくわかります。ただ、親が見た子どもの言動と、子どもが見た親の言動は違うので、親が子どもに期待する姿は親の思うようにいかないように思います。そして、ただ言って聞かせるだけでは全く意味がないように思います。動画の中に会ったように、親が自然に振る舞っていることを子どもは見ていて、そのことを「真似」するのだと思います。親はやっていないのに子どもには言って聞かせるは、ただ子どもに大きな期待をしているだけで、しんどい思いをさせることになると思います。「子どもは親の背中を見て育つ」という言葉がありますが、自然に出る親の言動を子どもはしっかりと見ていると思います。子どもが見ていないと思っている親の言動が結局子どもに伝わってしまうのではないでしょうか。躾は子どもにではなく、自分自身に…。ということだと思います。


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子供の見本になれない親がすごく多いなと感じます。 自分がやれてないことを子供に言っても伝わらないのは当然。 子供は思っている以上に親の姿を見て育つので、親がやれるのは当たり前の上で子供に諭すべきかと感じます。 私も思い返すと、親を反面教師にしている部分や、習慣が親と似てるなと感じることなど多く、親の姿を見て育ったんだなと実感しています。 大人になってから自分で気付いて改善していくことも多いけれど、子供のうちに親が教えられることを、親の良き姿として見せていければもっといいのにと思います。


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こういう時はありがとうって言うんだよ?と、教えてると思うけど。 私はお店の人に、ごちそうさまでした、とか、料理持ってきてくれたら、ありがとう、とか言うようにしてきましたが、子供はそれを見て自然に言うようになった部分もあると思います。でも、「ありがとう言うんだよ」と教えたことももちろんあります。 親の背中を見て子供は育つ部分もあるけど、やはり言葉で言わなければ分からない事もあると思います。 ただ、やっぱりよその子でお茶とか出したら「ありがとう」言える子は躾出来てるな、と思うし何も言わない子は躾してもらえてないな、と感じます。子を見て親を見ますからね。


 


 


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『ありがとう』や『ごめんなさい』の強制が親への忖度につながるというのは違うと思います。しかもこの場合は、子供への躾だから親が言って当然じゃないでしょうか。それすら言えないのであれば、それこそ親の子供に対する忖度なんじゃないでしょうか。 インターンなどで入ってくる大学生などを見てて思うのは、基本中の基本の挨拶ができないこと。挨拶ができなければ社会で円滑なコミュニケーションを図りながら生きていくことは難しいかと思います。 挨拶や礼儀は親くらいしか教えられないので、そこはしっかりとやってほしい。もちろん親自身の模範も大事です。


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こういうのを問題にする方が問題。 むしろ礼儀を理解できていない子どもに対し、きっちりしつけているいい親だと思う。 誰も彼もが自主的に学び、実践できるわけではない。 無理やり言わせても、子どもの習慣として身につきません。親が手本を云々というような意見はそれができない子どもを切り捨てることに繋がる。 暴力や虐待でないしつけの範囲で厳しく育てることは何の問題もないし、常識がないことを放置するのは逆にネグレクトと言ってもいい。


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強制的に言わせても身につかないと言う専門家がいますが。 どんな根拠があって言い切れるのでしょうか。 親が自分の背中を見せて子が学ぶのは理想でしょう。 しかし言わなければわからない子もいます。 繰り返し聞かせないと身につかない子もいます。 一概にこうすべき、これは良くない、といった机上の教育論、育児論は実際の子育てにおいて迷いを生じさせるだけでなく、多様な個性を持った子供に対する適切な接し方を必ずしも示してはいないと思います。 自分が子供の頃を振り返ったり、今まさに接している自分の子供のことを見ても強くそう思います。


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今から25年前、中学生の時に、「先生、紙」という生徒が多過ぎると担任から言われたことがある。先生は紙では無い。と。 大人から率先して見せる。とあるけど、頼む前に動け。って思ったり。頼むのも大事だけど動かないで事を成す事も違和感かな。麦茶の話は、出来てるからどうぞ。と言って入れないのも1つかと。頼まれてもないんだからね。それを無理にお願いしますを要求するのも変な話。入れても持って行かないのもあり。 って、偏屈な事にもなるから、阿吽の呼吸みたいなことが成立する関係なら別に良いのかな。蛙の子は蛙って言葉もある


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子供への躾は紙一重な部分だと思います。が、この件では親御さんがしっかりしてるなと、私は思います。子供がかわいそうという親がやたらと増えたように思いますが、社会に出た時他人と多く接するようになった時、本当の意味でかわいそうな目に合うことが見えていない親もまた増えていると思います。このご時世パワハラになるのではと我慢されている上司、先輩も増えたことでしょう。心と心で向き合える環境が破壊されているなと感じます。虐待は決して許されませんが、愛情のこもった躾まで否定される世の中ではこの先の未来を担う子供は育たないのではと感じます。我が子にはありがとうと言い合える人を大事にしなさいと教えてます。家族もしかり。


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「ありがとう」と感謝の言葉を言う習慣はとても大切だと思う。 例えば、コンビニやスーパーでお金を払い、商品を受け取った時… バスに乗ってお金を払って降りる時… 何らかのサービスや施し、慰めの言葉などを受けた時、「ありがとう」と言えるか。 「お金払っているからしてもらうのは当然」という考えだと、相手を「尊敬」する心は生まれない。サービスを施してくれる人がいないと、私たちの生活はとても不便なものとなってしまう。その方々への感謝の念は、対価を払っても関係なく持つべきと思う。 親世代がその姿勢を子どもに見せることができれば、子どもも自然と相手を「尊敬」し、自然と感謝できる子どもになることができるのではないだろうか。 ちなみに、「お茶下さい」と丁寧語を強制するのはあまり賛同できません。これも、相手への感謝の念が生まれれば、自然と出るようになるのではないかなと。


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自然に気付く子どもは確かにいる。言われないと気付かない子どももいる。言われても気付かない子どももいる。一つの方法で全ての子どもが正しく育つとは思わない。子どもの一番そばにいる親が、しっかり見極めて状況に応じた躾をすべき。子どもを叱らないと心に決めた親がいるが、叱らなくても正しく育つ子どもかどうかしっかり考えているのか甚だ疑問。無責任な教育評論家に影響され過ぎないことも教育上大事なことだと思う。


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これはある意味、礼儀の教育ですよね。丁重な言葉使い、気配り、相手に感謝を伝える気持ち。こういったことは先ずは親がしっかり教育しないとダメなんです。こういった教育をおざなりにすると結果的に損をするのは子供さんです。自我や個性を大事に教育するのはもちろん大切ですが、他人と接する際に礼節を忘れない気持ちを教育しなければ、相手の気分を無意識に害する人間に育ててしまうことにもなります。そうなると、最悪の場合、その人間が孤立することもあり得るのです。武道もそうですね。技を教える前にまずは礼節をしっかり教えますよね。礼に始まり礼に終わる、武道に限らず人間関係の基本を子供に教えるのは親を含めた大人の義務です。自由と個性を尊重することと、人間社会の中で必要なルールを教育することは全く相反することではありません。


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マナーとしつけは違うと思うが 我が子に他人にあいさつや感謝が言えない人にはさせたくないと 常に思っているし、必ず言うように伝えている 確かに他人からしてみたら強制させているように見えるのだろうが 教えるということも必要だし、言われないとわからないことも多い あいさつやごめんなさいをそもそも言えないような子が 他人に忖度できるとは思えない。 むしろできない子の方が教えてくれる人がいない心無い子供ではないだろうか、正直子供のしつけに関しては インターネット上の言葉はあまり信用できないものも多い 人には人のやり方があると思うし その都度適切に教えてあげればいいと思う まあそう簡単に行くことがないのも事実ではあるんだが


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命令形の「〜ください」と指摘する方に違和感があります。 会話として「何か飲む?」に対して「麦茶」は問題ないと思いました。 やってくれたことに対して感謝するように指摘するのは正しいと思いますが、これは親が普段から見本になっていれば自然と身につくと思うのでブーメランのような気がします。まずは自分を振り返ってほしい。 あとは「ありがとう」の指摘も足りない気がします。 私なら「(聞いてくれて)ありがとう。麦茶があれば麦茶をお願いします」と まずは気遣ってくれたことに感謝し、さらに麦茶を入れてくれたことに感謝するように躾けたいですね。


 


 


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武道でもそうですが所作をみて学ぶというのは 確かにあるのですが、それは学ぶ姿勢、心前が出来 本人にでき上がっている段階での話し。 理由や理解はさておき、まず正しい「型」をきちんと 言葉ややらせて体にいれこむというのはどんな修練でも 必須です。 背中を見せて心持を導くというのは机上の空論で あって「理解はのちのちついてくるので、まずは 正しい型をみにつけなさい」というのはあたりまえの 事だと思います。問題はその指導を素直にきける心を はぐくみ信頼関係をきずいてるかや、 その「型」が理想的な姿へのステップであることで 恣意的なものではないことが重要なのかなと思います。 型よりもありがとうと思う心根が重要、というのは その通りですが、それはかなり極めた方の心境です。 仮に心がついていかない段階でもまず型だけは正しく あろうと体にしみこませる。それが礼節かと思います。


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親に対して挨拶やお礼を強要するから、変な感じになるんだろうね。 じいじ、ばあばで練習するといいんじゃないかな。 お礼や挨拶ができる事を褒めてあげたり。 話し始めの時期に「どうぞ」「ありがとう」をひつこく練習するのがいいのかも。 母親にそういう時間があればだけど。 だから、3歳までは母親の元で育てろって話になるんだろうね。躾って大事だけど、保育園はしてくれないから。 どういう子に育ってほしいか考えてしつけるのはやはり母親。 きちんと挨拶できる子は、周りから大事にされるよ。


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すでに母親の行動が確立してて子供は選択を迫られてるわけで、麦茶、というのはおかしくない。 子供の年齢にもよるけど、ありがとう、ください、です、ます、は親を見て自然に覚えるもの。 教えるのも促すのも大事だけど、普段の両親の言葉、やり取りを聞いてるから出た答えだと思うんだけどなぁ。 自分は親と外出して店員との会話や、母親の義父義母との会話、家族が親戚との電話口の会話を聞いて覚えたけど。 ひとり親のみや、預かり保育や学童に行く流れだと今の子は覚えられないのかな。


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我が家では麦茶の一言だけでは冷蔵庫から出てきません。 また礼がなければテーブルの上に乗りません。 礼、挨拶は人を繋ぐ基本的で大事なツールです。 これを親が説き、躾なければ誰がやるのかと思います。 保育園、小学校?いえいえ足りませんし、きちんと親がやるべきだと思います。 そして、将来そんな基本的なことができずに困り、泣きを見るのは、子供自身です。 三つ子の魂百まで。 この言葉が言い伝えられているのはそういうことなのではないでしょうか。 また、箸の持ち方やなど食卓のマナーも同様に親が行うべき事だと思います。 将来困るのは(以下略 自由育てるそれも大事だと思います。 しかし基本ができるからこそ、親は信用し自由に振る舞う事を許すのではないでしょうかね。


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本音かどうかは関係がない。 これは礼儀、マナーの部分なので、本当に本心からありがとうという気持ちがなくても言葉にすべきなのがマナーでありモラルである。 心のない子供を育てるとか忖度する?子供を育てるかといういう心配をする前に、まず社会常識を育てるのが親です。 礼儀は忖度とは違います。 立場的に当然な人間には不遜な態度で簡単にものを頼んでいいという傲慢な心を育てるよりはよほど善いかと思います。 その子自身を否定するのは良くないことですから言い方には気をつけるべきですが、礼儀を教えるのは親の仕事です。


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親子も色々だが、何飲むの問いへの麦茶、は特に何もかな。麦茶飲む!まで言えてたらナイスって思う。入れてもらってのありがとうは、指摘してもいいのかなと。 大人への忖度って意見があるのは寒いって思った。その人がそういう考えなんだなと。だって、挨拶、お礼ですから。そんな解釈がびっくり。 指摘の仕方が自分とは違うかなってだけですね。誘いありがとう作戦で、入れる時に、はいありがとう!みたいな感じで言う。 厳しく言う場面も必要だと思いますが、先ずは身につけさせる事が大事。 あとは、普段から親を見てますから、挨拶やお礼等も見せれてるなら自然にできるようになるのかなとは思います。


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全てに共通するとは思いませんし、色んなパターンがあっていいと思うのですが、子供の教育(躾)は強制から始まるのだと思います。 「親がみせて…」理想的な感じもしますが、限られた時間の中ではその一つ一つに期待を込めて見守るわけにも行かないのではないかとも。 世間がどの様な反応をしたかなんてあまり重要ではなく、むしろ自分が育った環境を加味してプラスマイナス、試行錯誤して育てた方が親としての責任を果たした事になるのではないかと思います。 SNS上のどこの誰が書いたか分からない方針の一部を読んで育てるよりは。 あくまでも私の意見ですが。


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躾は大事だと思うけど、そもそも、なぜ、その子が、そんな物言いをしているかを考えてから、注意するかな。両親の言動を真似ているだけと言うのが一番だと思うので、言葉遣いや感謝の言葉を普段から自分が言っているかを見つめ直すべきだと思う。 親を倣ってできていた物が、ある日突然、別のところで学んできた場合は、注意してもいいと思いますが。それでも直らないなら、その根本原因と距離を取らせるってことになるかも。でも、親がちゃんとしていて、親子関係がちゃんとできていたら、自然と親を倣うと思いますけどね。


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こういう親御さんは時々見かける。躾が厳しいかどうかは本当にその家庭次第だからね~。なんとも言えない。他人が口出すべきことでもないし。 自分も子供が小学校1年の時、給食試食会という親子で給食を食べる行事があったが、その時にスプーンや箸を落とした子をかなり厳しく注意している親御さんもいた。 逆に気にせず自分の箸を子供に渡して食べさせている親御さんもいた。 なんとなくだけど、やはり厳しく注意されてる子供は親の顔色を窺ってるような様子は見受けられた。もっともそれだけ厳しく躾けている家は子供にも山のように習い事をさせているし、低学年から塾にも入れているしで、教育熱心ではあるのだろう。


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最終的な目的は、 何事にも当たり前と思わず、感謝すべきことは感謝できるようになること、 それを必要に応じて表明できるようになること、 なのだろうと思う。 こうした意識のもとで、言ってやらせて躾けることも、背中を見せて躾けることも、目指すゴールが同じなら良いだろうし、どっちかしかしない親もいないだろうから、良いバランスでやっていければ良いのだろう。 問題は、こうした記事やオーサーコメントの都合の良いところだけとって、何もしなくても大丈夫でしょーと勘違いする意識の低い保護者。 こうした記事を見ようともしない保護者も含めて、家庭の教育力に疑問を持たざるを得ない保護者が一定数いるのも確か。そうした家庭、保護者に対する学校現場の苦労は大きい。ひとクラスに複数いるともう大変。


 


 


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何が欲しい?と言われて固有名詞で答えるのは別に間違っていないと思うけど…… 晩御飯何が食べたい? カレー のやり取りに別段違和感を覚えない。 親の躾がいびつな気がします。 麦茶お願いしますでしょ! なんて言い方せずに、受け取ったらありがとうって言おうね。の方がよっぽど家族楽しく過ごせるし、子供は感じるものが多いのではないでしょうか。 それに子供は親が思っているよりも、もっと親をよく観察しています。親御さんが外で矛盾のある行動を取っていたらいくら口酸っぱく言っても聞きません。納得しないから。 躾は縛られるものではなく、子が社会に出た時に知っていて良かった!と社会の一員としてスムーズに過ごせるためのものです。子供の為を思うならなぜ、そのような返答になったのか、親御さんは今一度考えるべきだと思う。


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子供は確かに親の真似をする部分はあるけれどちゃんと言うべき時に言葉で聞かせて躾をする時もあるでしょう。親が模範的な態度、姿勢をとっていれば子供が「必ず」親の全ての態度を真似するとは思わないし子供が何かをしでかした時にその場できつく言って聞かせるべき時などもあるはずです。親と子にどういう関係性が築かれているかでも変わってくるはずです。 言葉で強制するのは良くない、とかそんな一元的なことではないと思います。


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あくまでもうちの場合だけど、私は自分がちゃんと小さなことでも「ありがとう」をいうようにしてました。というか、無意識でそうしてました。そしたら子供達も普通にありがとうが言えるようになりました。熱があっても薬を渡せばありがとうが出てきます。言えないのならしつけも必要だと思うけど、親自身が出来ているかも振り返ってみてもいいかもしれませんね。


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ウチでは『有難う』と人に感謝の気持ちを伝えられる人になるよう家庭全体で伝えています。 何故なら『有難う』と言われて怒る人はいない。嬉しい気持ちになる人が一般的だと思うからです。 そして相手に対して否定的な発言はなるべく控え、肯定的で前向きな発言を心掛けるよう意識するよう伝え、お互い気持ち良く接することが出来るよう自ら見本を見せています。 大抵の切り傷は治りますが言葉の傷は記憶として一生残ります。 なので敬語等で丁寧に話せというわけではなく、相手のことを考えながら言葉選びが自然に出来る人になってもらいたいと常々思っています。


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こうやって育てた子は、そりゃあ大抵は「礼儀正しい」人間にはなると思う。 ただ、"親から投げかけられて麦茶をもらう時でさえ敬語でお願いしなければならない"と思って育つと、下手したら心を許せる相手のいない、生きる事是即ち苦行みたいな人間になり兼ねない。 厳しく育てる事自体を必ずしも否定はしないが、子供の自己肯定感を育てる為にどこかで愛情をしっかり伝える必要はある。 どんなに他人から「感じが良い」と思われても、社会的評価を受けても、本人の心が針の筵なら、それは恐らく幸福な人生ではない。


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この記事を読んで、わざわざ取り上げる内容か?と思う。 自分が親になってみれば分かると思うが、社会にでて迷惑かけたくない、気持ちよくコミニュケーションが取れるようになってほしい、常識のある人でありますようにと願うのは当たり前で、それを躾の一環としてやっているならいいのでは? 育て方は人それぞれであって、こういう記事にするから変な解釈になるのだと思う。


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親は子に対して無償の愛だと思う。だからと言って感謝の言葉は 必要だが、親子間で敢えて親が言うのはどうなのか?兄弟や親せきの 家に行ったら麦茶一つでもありがとうの言葉を言う事は必要だけど 結局子は親の背中見て育つは本当だと思う。言葉だけ言って本当に 感謝の気持ちが無い人もいる。親子や兄弟から受けるだけでそれが 当然と思っている人もいる。最終的に人に感謝する心が無い人は 友人もいなくなると思う。言葉とともに気持ちが無いと言葉が空虚 で見透かされると思う。甘やかされて育つと社会人になって苦労する 部分がある。学生時代に体育会系の部活は挨拶の面ではプラスの面が あると思う。


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あくまで自分の経験での話だが、娘にはありがとう等の言葉は自分たち両親に対しては強要しなかった。 親が子の面倒を見るのは当たり前だと思っていたから。 ただ祖父母や他人に何かしてもらった時は強要した。 そしたらそのうち自分たちに対しても感謝の言葉を言うようになった。 それが大人への忖度とか心のない言葉だと言われるとちょっと分からないが、少なくとも娘から発せられるそれらの言葉は心から言ってるように思われる。 これは先にも言った通りあくまで自分の経験からの話なので何が正解かは分からないが、感謝の言葉を言うことを教えることが大事なんじゃなく、なぜ感謝の言葉を言わなければいけないかを教える、或いは一緒に考えることが大事なんじゃないかと思う。


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今じゃ”当たり前”の躾が”当たり前じゃない”に変わって来てますから。 家族であっても、目上の人に対する言葉遣いは、敬語で伝えていかなくてはいけないと思う。それが、社会で出ますからね。 今はネットで”今はまだ大丈夫”、”その年齢になったら出来るようになる”などという安易な書き込みで、それを見る若い世代がそれを信じ、子どもと接する。結果、子どもの躾が悪くなり、どうしようもない子になっていく。後になって直そうとしてももう遅い。 家庭でしっかり伝えることでその質が外(社会)でも大きく影響することをしっかり自覚して、子育てしてほしい。


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子どもが小さい時ってお母さんと一緒に買い物とか行く機会が多いからお母さんがありがとうと言っていたら自然とそうなる。子どもに叱る前に親は自分は普段言っているだろうかと考えてほしい。スーパーやコンビニのレジでも、ありがとうといっているのか、仲の良い人にしか言ってないんじゃない?それじゃ子どもは自然と口には出ないよ。だってお母さんがそうしているから。中には思春期で恥ずかしいとかかっこ悪いとかそんな時期もあるけどそれを超えたら身についている子はちゃんと言える。まずは親が出来ているかだと思う。稀にアホな親にこんな素晴らしい子が生まれるのかと思うこともあるけどな。


 


 


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接客業は臨機応変に対応する力が求められ、慣れないうちは、人見知りの私には向いていないのかと思っていました。でもしばらく遠のくとやっぱり接客に戻りたくなりました。 そして再び接客業の仕事をして楽しいなと感じる時が増えてきました。 ありがとうございます。と言っている言葉に感謝の気持ち意外の、何か清々しい気持ちに触れている気がしました。仕事の日は自分の発するありがとうの声を1番自分が聞いています。 深く意味を考えなくても、相手に気持ち良くお買い物をしてもらえたらいいなという思いが自然と言葉の響きになるような、そしてその響きが自身の心を気持ちを穏やかにしているのかも知れないと最近は思います。


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前にもこの記事出てきたけど。 育てたように子は育つ。 忖度だのなんだの。 周りは子供を通して親を見る。 躾をせずにいて他人に注意されると気分が悪いと言う人、「怒られるからやめな」と言う人。 他人に注意されると言うのは、自分が躾してないから、注意しないから。 怒られなければやっていいわけではない。 何かをしてあげた時に、同じくらいの年齢なのにきちんと「ありがとう」が言える子と言えない子がいる。 やはり躾なんだなと思う。 私も子供の頃から誰かに何かをしてもらったらきちんとお礼を言うということを言われてきた。自分がしたら「ありがとう」と言われ、感謝することのなんたるかも理解してくる。 前にも書いたけど、大きくなってから「育ちがいい」と言われるかどうか、育てかたに出ると思います。 育児は育自。


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親の影響、子供の人生に関わる大切な時期だと思います。きっとこの親子は似た様な素質を持つでしょう。自立した時徐々に気づいて親を反面教師として捉えた時真逆になる可能性もあります。要は本人次第で変わるかもしれない、変わらないかもしれないという事ですよ。環境もそうですが、親の影響はとても大きいと思います。これを賛否コメントする前に、大人ですが親自体の躾というか勉強をさせるべきでは。


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この記事の子どもさんの年齢が、幼児期や学童期なら「聞かれたことに答えただけ」という意識でしょうから、個人の要求に無償で答えてもらったら、「ありがとう」と言うべきだと教えるのは強制的だとは思いません。家庭の中での大切な躾(上手く躾られるかは別として)だと思います。 感謝の気持ちを伝えるのは、人として当たり前の事と思います。


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親子の間で、「下さい」や「ありがとう」を強要するのは違うと思います。特に、「下さい」なんて、親子の主従関係を現してそれを親が強要しているような印象を受けます。 逆だったらどうでしょうか? 親が子どもに麦茶をお願いする場合を想定すると、「麦茶下さい」なんて言わないのでは? 「ありがとう」はどこでもいつでも言えるように身に着けられると良いと思うのですが、それは親の背中を見て学ぶものだと思います。 私の親は、「下さい」や「ありがとう」を強要こそしませんでしたが、感謝して当たり前という意志を持ち、それを強要したことにより子ども3人、また、諸事情により育てている孫も反発し、親子、祖母孫関係は良いとは言えません。 ゆくゆくグレる、非行に走る、引きこもる等、何かしらの親子関係に悪影響を及ぼす要因だと思います。


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近所に「ママ、お茶」「ママ、おにぎり」など単語でしか話せない子がいました。その子は語彙力が弱く、他の大人との会話もままならなかったし、子ども同士でも思いが上手く伝えられないためすぐに手が出てしまってトラブルを起こしていました。 それを見て、小さい頃から単語ではなく文章で話させる訓練は大切だと実感しています。 大人が背中を見せることには共感できますが、子どもへの訓練はやはり必要ではないでしょうか。


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自分も幼少期、母親から同様の事を言われました。でもそれを虐待とか親の感謝の強要とは思いません。自分の子供が将来、社会に出て損をしないように根気強くやってくれた躾だと思ってます。当時は正直、面白くはなかったと思いますが自分が子供を持ち、躾をする立場になった時に挨拶や箸の持ち方など教え込むのが無茶苦茶根気のいる作業だと言うことを痛感しています。幼少期に身に付かなかったものは大人になってから矯正するのはかなり難しく、実際に成人になってもそう言うことができない人はいるし、少なくともそういう人にはあまり良い印象は受けません。


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この事例は専門家のコメントのとおり、親の何気ない普段の生活で相手への言葉使いができているか子供は見て自然と学んでゆく要素があると思うので、躾として言葉使いを指示するのも効果はあると思うけど、まず親が見本として丁寧な言葉使いを意識することが、一番子供にストレスなく身につくのではないかなと思います。 ただ、子供は親だけが学びの見本ではなく、学校や外出中の他者の会話等でも良くも悪くも学んでゆく機会はあると思います。


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大概、こういう子育て系のことに否定的な書き込みする人は子育てしたことない世代や、子育てしたことない人だと思う。 子育てしてれば嫌でもわかる。 どこで覚えたかわからないようなことをやっていたり、いくら教えてもそれに全く従わない。 そういういろいろな経験を積んで子供は大きくなります。 大人になってから気づくこともあります。 正しいと思うことを教えれば良いと思います。 そして、私達が思う以上に子供は親の背中を見ています。 私も気をつけなければと、改めて思いました。


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有難うと感謝の気持ちを言葉で言えない子供も多いが大人も高齢者も多いですよ。 大人や高齢者くらいの世代の方々は若いのだから目上の者に親切にして当たり前だから!と開き直りのような言葉を言われた事ありますが恩義せがましくも目上の者だからとも意識した訳ではない行為に当たり前だから!や当然でしょ!とまで言われ何だかな…と言う気持ちになりました。 こういう方々は反面教師にして行こうとも思ったり。 時の挨拶と感謝の気持ちの伝え方って大切だと思います。


 


 


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私が小学生の頃、道徳の授業で「ありがとう 」と言うのは侮辱行為だと言う教材を読んだ経験があります。 作者の考えとしては、「人に助けられたあとに「ありがとう」と言う人は、助けてくれると内心思っていなかったから」というものでした。 今思えば、相当ひねくれている考えだと思います。 今もその教材は使われているのでしょうか? 個人的には「ありがとう」という言葉を使わなくてもいいですが、感謝の気持ちを言葉で伝える文化は未来永劫続いて欲しいです。


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家では、子供が話せるようになった頃から、必ず何か欲しいときは「~ちょうだい」何かしてもらったら「ありがとう」と言うようにしつけました。 頭ごなしにではなく、優しく諭すように伝えていたので子供たちも当たり前のように自然に言うようになりました。 4才の頃には、バスに乗るとき「お願いします。」降りるときは「ありがとうございました」と大きな声で挨拶していたのを思い出します。 大人になった今も自然に使えているように思います。 言葉はとても大事です。 言わなければ伝わらないと自然に思えて、他人への思いやりも芽生えると思っています。 くれぐれも頭ごなしではなく優しく伝えられたらいいなと思います。


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そんなことまで記事で取り上げないとダメでしょうか? 躾を強制だと思ってる人たちが多い証拠でしょうけど、やはり分別がつかないうちは、子には挨拶や言葉遣いを「型」として教えて、自然と反射的に出るようにした方がいいと思います。 私の親がこうした礼儀に対して疎かったので、私自身も身に付けるのに結構いい歳になるまで苦労しました。やはり教えてくれる人がいればこそです。 そう考えると、将来に苦労しないようにしておいた方が絶対にいいし、かなり生きやすくなると思っています。


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躾って統一ルールの無いものだろうし、こうやって議論する事も大切だろうけれど、それぞれの家庭の色があっても良いんだと思う。 忖度とか考えてる人はそれで子どもを教育していけば良いのだろうし。 ただ、そういう意見を言う人達が子どもの落し物拾ってあげた時にお礼も無く無言であっても腹を立てないでほしいかな。 結局、日頃の一つ一つの積み重ねが他の言動にも影響してくるんだろうから、勝手な意見で親を批判して、子どもを振り回すのはやめて欲しいなって思います。


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まず親が普段からどんな言動、他人との 接し方をしているのかが重要だと思います。 子供ってそういったのを案外良く見ている からね。 大人が家族間であっても何かして貰ったら 「ありがとう」と言ってれば子供も自然と 言うようになるだろうし言わなければ 子供も言わないで良いもんだと思ってしまう。 他人に対してもそう、スーパーや食事に 一緒に行って親が横柄な態度だと子供も そうなっちゃうのだろうしさ。 まずは大人、親が手本にならないとね。


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家族間でも、何かしてもらったらありがとうを言えるようにするのって大切だと思うので、我が家の2歳の長男には、言葉を発するようになった頃から、ありがとうを言わせるように促していました。自然に言えるようになってほしいけど、小さい頃から自然と口からありがとうが出るように練習させることは必要なように思います。もちろん、私も夫もありがとうはちゃんと言うようにしています。今では息子は自分からありがとうを言えるようになりました。 お水を飲みたい時等も、『お水』だけ言うことがあるので、お水をどうしたいの?と聞くようにして、お水飲みたい!お水下さい!等、自分の気持ちを言葉で言わせるようにしています。 思ってることは言葉にしないと伝わらない事を理解して欲しいし、自分の言葉で話せる人になって欲しいからです。 子育てや躾は家庭各々で考えがありますから、試行錯誤しながら我が子に合うやり方を見つければ言いと思います。


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ある一場面だけ切り取って賛否両論なんて子育てではナンセンスです。 子どもは親のマネをするので親がやればという意見ももっともですが、それは、親がやってないことを子どもにさせるのは難しいという話であって、必ずしも親がしてたら「自然と」するようになる訳では無い。 親がした上で、親が強制した時に自然と あ、そうだな と思ってやるようになっていくこともある。 親がしていても子どもが保育園で 麦茶 とだけで通用するのを見たら、今度は言わなくなる。 それをこうして矯正していく。 子育てなんて無数の要因で変化していく子どもに、あの手この手でしつけて行くものです。


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子どもに関わる仕事をしています。もちろん頭ごなしに言うのは良くありませんが、記事の中に強制は心ない子どもを育てるだけとの書かれているのには少し疑問です。 社会生活を営む上では、実際は感謝を感じずに感謝を口にすることがほとんどなのではないでしょうか。学校でも同様な社会性が求められるように感じます。 心無い子どもを育てるだけといっている方は、感謝することを押しつけていませんか?感謝しなくてもお礼は言えるし、むしろ言えなくてはなりません。 何に感謝するのかは、感じるところなので個人によって違うので無理に感謝させる必要はないのでは。


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この記事の様に躾て、出来た事を褒めたり、子供のありがとうに対して、こちらこそありがとうと答えたり、子供がやった事にちゃんと評価してあげるまでをワンセットにしてればいいし。 ちゃんと親子の会話出来ているなら、別に問題ないと思う。 むしろ、俺はそんな育て方されてないから、人に頼んだり、感謝を伝えるのが苦手だし、新婚の時、嫁が料理してくれても、美味しいの一言すら出なかった。もちろん実家の食卓でそういう会話をしてなかったの原因だが、、嫁に指摘されて気づいた時は、すごく恥ずかしかった。


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親の姿を見て学ぶ子もいるかもしれないけど、言った方がいいタイミング、言わなければいけないタイミング、何を言わなければいけないのか、とかは都度しっかり教えていく必要はある気がします。挨拶も、感謝もそうだし、今何をしてほしいのか、どう助けてほしいのか、何を手伝ってほしいのか、どう思っているのか、言葉に出させる練習は必要じゃないかな。 もちろん親がお手本を見せていくのは大前提で、その手助けは必要だと思います。勉強と同じで…。 色んな考え方があると思いますけどね。


 


 


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まあ、よく言われるように、躾(身を美しく)は「おしつけ」の側面がかなりありますね。ある程度「形」から入らないと(将来的に)立ち居振る舞いは美しくならないのでは。かといって、どの点までが「押し付け」で、どこまでが「強制」かの線引きは曖昧ですね。親が持つ「柔軟性」と関係してくるでしょうから。賛否は一概にはいえないでしょうね。あくまでも、個々の親子の問題になるかと思います。関係性の密度もあるでしょうし。


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何かをしてもらったり、物を貰ったりしたらありがとうと言うものだと子供の頃に教わった記憶がありますが、今はそう教えると大人への忖度だと考える人がいる事に驚きました。 親のいう事やすることを子供は見て真似して覚えていくのはその通りだと思いますが、人として大切な事はしっかり教えていかないと、将来その子が大人になった時に困らないするのが親の役目だと思います。


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子どもたちにお手本を示すのは大人の責任です。 時には厳しく教え諭す必要もあるでしょう。 それは「強制」や「忖度」とは違うと思います。 子どもを尊重しすぎて非常識な社会人にしてしまうと後から本人が苦労することになります。 正しい言葉使いと敬語の習得に良い方法は、親が日頃から使ってみせること。 子どもであっても「ですます言葉」を基本にすると、間違い無く身に付きます。


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たまに反面教師にしたり、頭ごなしのしつけでも上手くいくケースがありますが、それは相当まれなケースでその子が特別優秀なだけでたいていはうまくいきません。 子供に限らず基本は率先垂範だと思います。 私の両親は勉強嫌いなのに私に勉強しろといいました。全く勉強しませんでした。社会に出てから勉強の楽しさが分かりました。仕事から帰って毎日勉強しています。子供に勉強しろとたまに言いますが、私がやっているのを見てそんなに指摘しなくても勉強します。昔は自分は勉強が良くできたと子どもに言ったり、無理やり教えても身につかないと思います。やらせたければ上手下手関係なくやっているのをみてやろうとするので、しつけの基本は率先垂範だと思います。


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大人への忖度の意味がわからないけど… そのほかの記事の、言いたいことは分かる。反射的にありがとう。と言うのはどうかと思う。やってもらった事の意味を理解した上で、感謝の気持ちが生まれるように、それに対してありがとう、という言葉が自然と出るように育てるべき。 大事なのはありがとう、と言うことではなく、 何に対してありがとうなのか、言葉だけにならないように、ありがたいことだ、と感じられる心を養うこと。


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「麦茶」で済ませた子供に「麦茶を入れて下さい」とまで言わせようというのはやり過ぎに感じるけど、「麦茶がいい」と言わせるぐらいの躾は必要だと思う。その後の「ありがとう」もあって当然の躾だ。 他人の躾に口を出すのはどうかと思うが、最近の10代が使う日本語は略し放題で意味がわからない。そんな子供に育てた親に限って他人の躾にとやかく言うのではないかと感じる。 秋元康が「了解」を「り」と略すのは文面の世界であって、会話をする時に「り」とは言わない。個人的には文面でも略されるのはイラッとするが、要は使い分けがちゃんと出来る子供に育てるべきだと思う。 その為には人からの質問に「〇〇がいいです」や「ありがとう」を自然に言える子供に育てるのは初歩的な躾だと思う。


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躾は時代とともに変化し、子の成長と今後の育児の大変さを左右する大事なものです。叱り付けたり高圧的な躾方をすれば子供は親から学ぶのは楽しくないと思うようになり、次第に言うことを聞かなくなり、負の連鎖に陥ることで益々育児が大変になります。また、現代では暴力や恐怖では子の成長を著しく低下させることが証明されており、昔のようなのやり方は論理的に間違いです。当然ですが子供は親だけでなく周りの環境からも影響を受けます。時代とともに育児本は常に更新され続けています。ポケベル世代ガラケー世代の経験なんて殆ど参考になりません。これからは強調や矯正ではなく協力が正しい躾方の時代です。


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40年子どもに携わる仕事をしています。 この状況には、不自然な「好意の要請」を感じます。自ら「何か飲む?」と尋ねたということ自体、「何か?」を問うているのだから「麦茶」と答えるのは自然。自ら差し出した物に対して「ありがとうは?」を要請するのも不自然に感じます。もちろん、親御さんの気持ちには「ありがとう」を言える子になって欲しい、「主語述語」で自分の気持ちを伝えることが出来るように、という願いが根底にあると思います。が、基本は、大人が日頃見本を見せていく、日常の会話の中で子ども、大人限らず小さな好意に「ありがとう」という言葉を伝えていく、小さな頃から子どもの思いを「〇〇が欲しいのね?」と代弁していくことで自然に正しい言葉の使い方を身につけていきます。大人が優しく好意を言葉で「ありがとう」と伝える。もちろん状況により、「〇〇してもらって嬉しいね。ありがとうだね。」と気持ちに共感して伝えます。


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これは良くないな。 躾云々、その前に子供が何故自然と礼の言葉が出てこないか。それは普段から親自身が礼の言葉を口にしていないから。 感謝の言葉は心の気持ちの現れ、気持ちがないのに言葉だけ求めたところで何の意味もなく躾なんてそれこそおこがましい。 親自身が普段から礼儀があれば子供は自然と同じようにするし親の姿をよく見ていることを忘れず、それこそ子供の言動は鏡であることを肝に銘じるべき。


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同様のケースを多々見たり効いたりする。きっとこの人の親もそう言ってそうだてたのかと思う。聞いていて気持ちの良いものでは無い。私の親も、友達の親も自分達が子供の時そんな言い方を聞いた事がない。 叱り方、注意の仕方を知らない世代か。昔もいたかもしれないが、明らかにその様な言葉を使う親が増えているのも事実だと思う。時には面前で叱ることも必要なのはわかるが、二人の時に諭す事も大切だ。そして叱ると怒るの違いに気づくべきだ。


 


 


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ここのコメンテーターを含め、専門家が作る「頭ごなしはダメ」という風潮が子供も親もダメにしている気がします。 もちろん、体罰や虐待はいけないことだけど、たとえ親が模範を実践しても友達や他の大人が悪いことだってある。 「いけないこと」を明示的に指摘するのは時代が変わっても必要でしょう。 それにしてもこの10年くらい、飲食店や交通機関など公共の場で子供を叱れない親が本当に増えたなと思います。


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心ない子になる、親に忖度する子になる、というインターネットの意見て、どのくらいの比率なんだろう。 ありがとうやごめんなさいは強制されるものではない、親が率先して見本を見せて教えるもの、というのは正論です。でも、日頃気をつけているからこそ、ありがとうやごめんなさいや人へのお願いの態度をどの状況で言わないといけないか、口煩くでも言えると思うんですよね。親にその気持ちがなかったらその言葉遣いや態度がそもそも気にならない。 何でも子供の自由に、という家で躾が上手くいってるところは余程親が気をつけて見本を見せてるんだと思いますが、知る限りはあまりないかな…親も自由人… 小さい時はまだ色々良くわからないもの。親や他のお友達を見て真似することもあれば親に叱られて身につくときもある。 子供の頃からの習慣から始まってあとから気持ちがついてくることもあるのが躾じゃないかな。


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親から子への一方的な自称「しつけ」はろくな結果を生まない。親と子供が双方共に納得の上で進めていくのが、真の躾だと思います。 親というのは、主導的な立場にあるものですが、子供の意見や思いに耳を傾け、それを否定するのではなく、大人の考え方も紹介しつつ子供に考えさせていくことが大事だと思う。 なぜ「お茶」だけではダメなのか、なぜ「ありがとう」をいちいち言わなければならないのか。「そういうものだから」と、理不尽に押し付けるのではなく、必要な理由を子供がわかるよう説明する必要があると思いますね。 それらを面倒くさがって、一方的に「親の言うことを聞きなさい!」と強権を振るうと、子供は良い子に育たない。


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たしかに、ぶっきらぼうな答えや無言は良くないし、最終的に子どもがこのような言葉遣い出来るように目指すのは良いことと思う。ただ、押しつけでなく、この記事にもあるように、大人がまずそれを実践するのが良いと思う。大人であろうと子供にも、丁寧に 下さい とか、ありがとう を日常的に言っていたら、子どももそのようになる。そうなっていないという事は親はまず自らの言動を振り返るのが良さそうだ。


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コメントされている新潟星稜大学の先生の解説が、素敵だと思います。子どもは、大人を見ています。 家庭であれば、親の言葉や態度表情を、 学校や幼稚園や保育所であれば、先生や保育士同士のやりとり、子どもへの対応を。 日常の中で、当たり前として大人が「すみません」「ごめんなさい」「ありがとう」咄嗟にかけ合う社会であれば、子どもはそのように育ちます。 同じ日本でも、地域によってかなり差があります。 「バスの運転手にありがとう!を言っている子どもが多いな。」「エレベーターで、どうぞ!と、譲ってくれる子どもが多いな。」と、感じる地域は、そのようなふるまいをされる大人が多いです。 共に社会生活を営んでいるという意識が薄れるにつれ、周りを見なくなり、周りの人に興味を持たなくなり、「子どもに、言葉を教えないとできない」と、思い込んでしまうのです。言葉より心。言葉は、焦らずともついてきます。


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否定派には全然賛同できない。 小さいうちは、挨拶として何をいうかをまずは外形的にでも教え込むべきだ。 それが社会を構成する「人」を作ること。忖度とか意味がわからない。 もっと大きくなって、ここはお願いしたり謝ったりする必要はないと自ら判断するときは来るだろう。そんなときにまで頭ごなしにやるのがいいとは言えないかもしれない。またもっと大きくなれば、変な対応をすれば相手にされなくなる。 ただ、出発点として、どんな言葉を言うべきかを教えるのは親の務めであり、これに難癖をつける人間がいたなんて、あっけにとられる。


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確かに、子供の頃からの礼儀作法は、必要として面白いますが、何故必要か詳細に説明が必要です。私は、接客業してますが、近頃の子供は、問いかけに、はい、いいえ等の返事しない子供が多くなってます?それは、親が返事してない事が多く、それを子供が見てる為しないと思います。強制的でなく親から見本を見せるばかりだと思います。


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ネットで語源由来辞典と言うのを調べると、「真に似せる」の意味から「真似(まね)」や「まねぶ」が生まれ、「まなぶ」という語が生じた。と、ありますね。 確かに言い方や語気で押し付け感が強すぎると子供も不信感や反発を招く場合もあるでしょう、だから親が率先して手本を見せるつもりで他人にそう言う喋り方をして見せるのが良いと思います。 否定的な結果を心配するあまり基本的なしつけを躊躇ってしまうのは本末転倒です。 昔から日本人は形から入ると言われ、始めは意味はよく分からなくてもとにかくその様にやってみて、後々から理解は追いついてくると言うパターンで上手く社会が廻って来ました。


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教育は人それぞれ。その家庭がそう在るべきと考えるのなら、とやかく言う必要は無いと思う。教育スタイルが首尾一貫してる事が大切。自分には甘くて子供には厳しいとかはダメ。 自分は伸び伸び育てて貰ったから、厳しい躾はされなかった。でもダメな時はダメと言われた記憶は未だに残っている。自分自身はありがとうございます。〇〇下さい。みたいな丁寧な言葉は知人には出来ないけど、サンキューやちょーだい。など感謝の気持ちは伝えている。それじゃダメと言われるかもしれないけど、自分は出来ないから、子供には強要するつもりはない。大切なのは気持ちを伝える事の大切さを理解させる事だと思う。


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親には「お茶頂戴、ありがとう」を言ってますね。でも親にわざわざ言われた事は無い気がする。 親以外には「ください、ありがとうございます」を言ってるけど、これも親に言われた事は無い気がする。親がやっているのを真似た感じ。 しつけには「口で教える」や「姿勢を見せる」などがありますよね。 あと、親や家族に対しても敬語を使えとは思いませんが、個人的にはこちらが何か聞いた時でも「麦茶」など単語だけではなく「麦茶が欲しいな」など形容詞?があると丁寧な感じで良いかなとは思いますね。 こちらが要求した事でなくても「ありがとう」と感謝する事は大切だと思いますけどね。 感謝は優良な関係を築いていく上での基礎だと思っています。 わざわざ要求する事ではないとは思いますけどね。 「こういった時は感謝を伝えると、相手を労う意味でも良いと思うよ」と教えるのは良いと思います。


 


 


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親は子供がいずれ社会に出た時に恥をかかない様に、ある程度の常識的行動を子供に身につけさせたいと思う人は多いと思う。 感謝の気持ちや謝罪の気持ちは、言葉や行動で表さないと伝わらないと日頃から気がついた時に教えています。 自分自身がいい大人になったが、マナーや常識がまだまだだと実感するので、我が子にはこういう思いをして欲しくないと思って日々気づいた時には声を掛ける様に心がけている。 こうした話題でも賛否両論が出てくるのは、自由に発言出来る国の良さですが、その賛否に対して攻撃的な指摘をするのだけはやめにしましょう。 お互いを認め合う寛容さが、今の社会には足りてない気がします。


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結論から言いますとその場面で言われた、それは麦茶にとりまして、麦茶に失礼ではないでありましょうか。麦茶側にしましても、その場面で言われたくない、麦茶側からの観点から見ますと、といいますか、麦茶側ではなくても、であります。世界的観点から見ますと、時と場合においては、その上、人によって変わるようであります。多数の意見があって良いんだ、いえ、そうではなく、それは難関でありますが、解決法としましては、といいますか、それを指摘しました人は、当時何か他に原因があり、その発言をした、という可能性があるといっても過言ではないといいましても過言ではない可能性はどうでありますか、それがエクアドルなど他国でありますと、状況的など変化球についても多数の意見があり、議論しましても結果論は解決策は多岐に渡りますのではといいますのも知ってはいないであります。


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そういうものだと思って育ってきたから こんな意見が出ること自体に驚きかな? 母がお茶を入れて、手渡す際に「ありがとう」を言うまでコップを離さずに、「なにかしてもらったらなんて言うの?」と自分から感謝を伝えるべきことに気がつくよう促す育てかたをされました。大人になった今そういう「当たり前」ができる用に育ててもらったことには感謝はすれど、忖度云々弄れた感情を抱いたことは1度もありません。 社会にでて、お客様から些細な事でもありがとうを言われるとサービスを提供している側としても嬉しくなりますし、そういうところに仕事のやりがいを感じたりします。 こういったことが出来ない方にはクレーマーや揉め事を持ち込む確率が個人的主観では多いです。 割とマジねこれ


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本当にこういう言い方を普段から母親はしているかどうかはわからないので、、何とも言えないですね。 言い方は日によって変わるかもしれないし。母親だって機嫌がいい、悪いもあるだろうし、前後の流れもあるだろうし。父親は言わないから子供には言えるように育てているかもしれないし、父親に当てつけかもしれないし、とにかく、挨拶や有難う言える大人になれるといいですね。


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“くださいでしょ”は、敬意の強要であり一種の皮肉でもある。このような言葉は、子どもの心を歪ませていくだけではないか。 ふだんから親が“ください”と言っていれば、子どもはそれを見ていて必ずその影響を受ける。そしてそれは、威圧的な言葉などよりも、子供の心に残りやすいはずだ。 どうしても子供に何か言いたいなら、“くださいでしょ”ではなく、“ください って言いましょう”などと、上から目線でなく提案のような言い方が望ましい。 親から威圧的な言葉を受けて育った子供は、他の子供にも同じような態度を取る。友達に“おもちゃ貸して”と頼まれると、“貸してくださいでしょ”と応じたりして、友達の親や保育士などに傲慢な態度と受け取られ、トラブルになったりすることもありえるだろう。 そんな子供が大人になれば、 態度はさらにエスカレートするかも。 本件は、親が自分に対する敬意を子どもに求めているのであり、躾ではない。


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うちの親がそういうタイプでした。子どもに対しては言葉を直させたりお礼を言うようにと言ってくるのですが肝心の親は物を頼む時も適当な物言いでしたしやって貰った事に対するお礼を言うことはありませんでした。当時すごく違和感があったことを覚えています。 とても情けない話ですがそのせいか「お礼は強要される物」という認識が強くなってしまい人に「ありがとう」と言うことすら抵抗があり、また自分がお礼を言われた時もどう反応していいか分からず困惑してしまう時期もありました。 親元を離れて働き始めてしばらく経ってからお礼の言葉を言われるのは嬉しいことなんだと思えるようになり自分も自然にお礼の言葉が出せるようになりましたが、こんな当たり前のことに大人になってからようやく気付けたことを恥ずかしく思っています。 また、子どもの時に手本となる人が身近に居て気付ける環境にも身を置けていたらなとも思います。


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それこそ昨日だが、飲食店で店員さんに手挙げて箸!って言ってる大人がいた。自分はえっと思ったが、妻も店を出た後に同じことを思っていたようだった。 記事を見てタイムリーで驚いたが、忖度ではなく気遣いができるかできないかであると思う。 自分が店員になって同様のことを言われるとどう思うのか? 自分以外の誰かには気遣うべきたし自分の子どもたちもそうあって欲しい。 またしつけが議論される時に躾の漢字について色々言われることがあるが違和感を覚える。 教育とか共に学ぶとかで良くないかと思う。 箸って言った大人の傍らには子供がいたしそんなにちゃんと出来てるのかと思ってしまう。


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不遜でない言葉を教えるのは当たり前ですが、本当大切なのはやり取りの中でどんな関係性の上でその言葉態度を選択しているかですよね。別にどちらが一方的に合っているとかいう類の問題ではなくて。 最優先すべきは世に出た時に的な考えでする躾ではなくて自分と子供との信頼と愛に重きを置けば自然と言葉使いも態度も子供自ら考えるようになると思います。 子供は世の中とか世間とか社会とか広い世界を想像し辛いので身近な親や兄弟、友達との間でいい関係を失敗しながら覚えていけば良いと感じます。


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大人からすると、ありがとうと言うことの意味を知ってるから、ありがとうの論議ができるのだけど、子供はまだそれを知らない。 では同じ構造で、ありがとうと言うべき時にきちんと言えてる大人もそう多くないよ。 何かをしてもらったらありがとうなんだけど、ありがたいと思わないとありがとうと、言葉は発せられないよね。 それに気づいていないから、あの時にありがとうって言うんだ!ってことも自分では気づかない。 つまり、ありがとうと言うことを知らない人は、ありがとうとは絶対に言わない。 誰もその状況になる可能性があるわけだから、ありがとうと言われなかったことで、めくじら立てて、議論するほどでもない。


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これを頭ごなしに否定するのもどうかと。結局は、親と子の間に信頼関係があるかないかで捉え方は変わると思います。私は昔からそういう注意をされたことはありますが、あ、しまった、またやらないよう注意しなきゃ、と思ってました。怒られたりすると、強く印象に残るので、後々、あぁ私は親にちゃんと躾けられてて良かったなと思います。 厳しすぎるのはいけませんが、ある程度は仕方ないことでは?柔らかく伝えるとか、怒りすぎないように、とかはやりすぎるとただの甘えになります。 麦茶くださいでしょって言葉、そんなに厳しいですか?私はそう感じません。最初に言った通り、そこに信頼関係があるかどうかで変わると思いますけどね。